2015 晩秋の久住 <第二日目>

2015 晩秋の久住

第二日目(2015.10.22.Wed.)

晩秋の久住

10月22日 木曜日 快晴
夜は寒くて何度も目が覚めた。
何度めかに目を覚ましたのは4:30くらいだったか・・ この夜は流星群の見られるはずと思い出し、凍えながら外に出る。しばらく夜空を見上げていると、サーっと流れるものがある。流星だ。ほかの星もよく見えている。昨日に引き続き快晴を予想させる。

第二日目のはじまり。避難小屋前から阿蘇方面を遠望す。
高原は朝霧で埋め尽くされる。
夜明け

■行動地図(青ラインが2日目、赤ラインが1日目です)

◆通常のマウス操作で拡大・縮小、移動が可能です。
◆第一日目のルートは、青の線で表現しています。出発地点の長者原ビジターセンター、到着点の久住別れ避難小屋までスクロールしてみてください。
◆この地図は、国土地理院電子地形図の地図タイルを使用しています。

第二日目の行動予定

◇ 避難小屋 ⇒ 天狗ケ城 ⇒ 中岳 ⇒ 御池 ⇒ 久住別れ

 ⇒ 北千里ヶ浜 ⇒ 法華院温泉 ⇒ 坊がつる

 ⇒ 雨ヶ池越 ⇒ 長者原

日の出前の岩峰と避難小屋
日の出前の星生山手前の岩峰と久住山避難小屋。標高1640M付近。

一夜の命を守ってくれた避難小屋
避難小屋(手前)とトイレ棟(奥)。
屋内はやや荒れていたが、それでも、大げさだが一夜の命を救ってくれた。

涅槃像 06:12 出発する。
阿蘇五山。涅槃像とはよく言ったものだ。
足の痛さは限界で、空腹にも耐えかねている。だがここまで来たんだ。最高峰の中岳山頂を踏まずに帰るのは、なんだか気が引ける。水も底をついたが、もう少し辛抱してみよう。

由布岳遠望

06:15 久住別れから少し登ると、由布岳方面の眺望が得られる。日の出直前だ。山並みが折り重なる。
・・と、気配がして振り向くと、巨大なイノシシが今来た登山道を猛烈なスピードで横切る。5Mほど後ろ。

「・・っああっ、あっ!!」

驚いた。これには驚いた。巨大だった。本当に驚いた。

ご来光 朝日が昇ってくる。
朝日の当たっている部分の右が星生山。左が1698扇ケ鼻だろうか。避難小屋も日の当たる中央岩峰の左下に小さく見えている。
星生山手前下の尾根上に小規模な火口が見える。1995年の噴火時のものだろうか?
こうしてみると、避難小屋前の広場状の平らな部分も、かつての噴火口跡に火山灰など土砂が堆積してできたのだろう、と思えるわけだ。

涌蓋山方面 星生山ごしに涌蓋山方面を見る。
足が痛い。それに腹が減った。のろのろと登っていく。

御池を見下ろす 御池を見下ろすあたりまで登ってきた。陽の当たる範囲が拡大していく。

天狗ケ城 06:36 天狗ケ城。

硫黄岳の噴気 昨日見上げた硫黄岳を、今度は見下ろす。

三股山 三股山方面をみる。

岩場に残る紅葉 まだ朝日が照らしていない北斜面。岩場に埋もれるように紅葉が残っている。

晩秋の久住 まさにこれが、晩秋の久住の光景だ。

天狗ケ城見上 06:47 天狗ケ城を跡にする。

中岳へ 正面に中岳への登りが見えてくる。

中岳山頂 07:04 山頂到着。

涅槃像再び 阿蘇方面。涅槃像再び

涅槃像再び②

平治山と由布岳 似てるけど、こちらは由布岳鶴見岳。手前はミヤマキリシマの有名な平治岳(へいじだけ)。
山々の連なりの美しさよ・・

谷間の紅葉 谷に続く窪みに岩が露出し、その周りにだけ紅葉が残っている。 ベージュ色の絨毯のように見えるのは、ドウダンなどの低木が枯れたものだ。
このような奇跡的風景を捉えられたことを、今は感謝しよう。

谷間の紅葉② 山肌はベージュの絨毯に覆われている。紅葉のオレンジが点在する。
これが撮りたかったのだ。

坊がつる遠望 坊がつるを遠望す。今日も晴天は間違いない。

硫黄山〜涌蓋山黄山から涌蓋山方面。

もういちど もういちど。
谷の先端部は、坊がつるへと急速に落ち込んでいるように見える。 ここは、奇跡の谷なのだろう。

中岳山頂から御池へ向かう 中岳山頂から御池へ向かう。

池の小屋 07:32 池の小屋到着。
昨夕、いくら探しても見つけられなかった。でもこの小屋は石積みだし、久住別れの避難小屋のほうがマシではあったと思う。

御池の水面 御池の湖畔まで降りてくる。 爽やかな秋晴れの朝、素晴らしい晴天にもかかわらず、この頃にはもう空腹と脱水状態と、両足の激痛で、ふらふらと彷徨するほかはなく、ペースは大いに滞った。
もう水がない。目の前の御池がいくら水をたたえていようとも、飲むわけにはいかないよなあ。

空池 御池から、空池を見下ろす登山道まで、やっとのことで這い上がってくる。御池同様、空池ももちろん噴火口だ。だが水がない。抜けてしまったのだろうか・・・
体が心底乾ききっている。水が飲みたい。
第一、このままで、帰りつけるのだろうか。
ふと、昨日の硫黄岳下の小さな流れを思い出した。硫黄成分が十分に溶け込んだあの酸っぱい水を、今はどうしても飲みたい。 あの小さな流れに、這いつくばってでも直接口をつけて、がぶ飲みしてやる。絶対にそうしてやる。川の水全部飲んでやる。

久住別れ見上げ_救世主現る 08:10頃 久住別れまできたところで立ち尽くしていると、救世主が現れる。
久住山側から下りてきたご年配の方に遭遇した。暗いうちから一眼レフをぶら下げて登ってこられて、ご来光を撮られたとか。しばし立ち話をしながらつい、水を切らして困っていると漏らすと、ためらいもなく持参の水をマグカップになみなみと注いでくれる。
慌てて、「それはいけません、大切な水をいただくわけにはいきません」といったものの、「いやあ、私はコーヒーを飲む分があればいいんですよ」といわれ、あっけなく陥落。
一気にグビグビと飲んでしまう。結局二杯目も注いでもらった。
この方は、星生山方面へ今度は紅葉を撮りに行くという。
お名前を伺ってもと言うとそれには答えず、「山の自由人」というブログをやっておられると言い残して去って行かれた。
この方には2年後、2017年6月に再び久住でお会いする。この日のことのお礼を申し上げたのはもちろんだが、不思議な偶然だった。
この場をかりて、御礼申し上げます。
ありがとうございました。

酸っぱい川 久住別れから降り下り、痛い足を引きづって北千里ヶ浜を北へとさまよいながら、流れを探し歩いた。
そしてようやっと、昨日見たあの小さな流れを発見する。 「山の自由人」さんから水を二杯も頂いたのに、私の喉は乾ききっていて、リュックを放り出すと倒れ込むように川面に突っ伏してガブガブと、本当にガブガブとがぶ飲みした。硫黄分が強いのはわかっているが、関係なかった。とにかく飲みに飲んだ。

待望の朝食 9時まえだろうか、ようやっと一心地着くと、今度は猛烈に腹が減ってきた。
酸っぱい水を、砂の入らぬようにコッヘルに注いで、ストーブで加熱する。その間に袋麺を準備して待ち構える。
このとき食べたチキンラーメンは美味しかった。あの塩気は未だに忘れられない。

不思議のながれ やっと落ち着きてきて、あらためてあたりを見回す。
だいたいこの川は何だ。どこから流れてくる?
激痛走るこの足では、渡りきるのに数十分もかかった北千里ヶ浜だが、大した距離じゃあない。上流側にはどこにも水源らしい場所はない。草もろくに生えぬような荒涼とした場所だ。それが、あるところから忽然とながれが始まり、この写真のあたり(諏蛾守越下のやや南)で唐突に地面に吸い込まれて姿を消してしまう。しかも流れは淀まず、さらさらとながれているのだ。不思議なこともあるものよ・・

諏蛾守越下(中宮跡) 食事もし、たっぷりと休憩して、10:00過ぎに出発する。
写真は諏蛾守越下、すなわち中宮跡と呼ばれているあたりを通過し、坊がつるへ向かう。

諏蛾守越方面を見返す 諏蛾守越方面を見返す。火山の光景だ。

途中にはケルンもある 途中にはケルンもある。 普段、登山者が多いところだが、今は誰もいない。

坊がつるへの急下り。 坊がつるへの急下り。ここは両側に山が迫り、大岩がゴロゴロと転がっているところを下りていく。岩を一つ越えて降りるのにも、いちいち激痛が走る。なんでこんな痛いんだろう。

三股山南斜面 左には三俣山の南斜面。溶岩が積層し、柱状節理も見られる。

大船 正面に大船山だいせんざん)が大きく見えてくる。

湧き水 道端に水が涌いて流れ、登山道を水浸しにしている。ひとすくい飲んでみると、今度は酸っぱくない。
先程ペットボトルに汲んできた酸っぱい水は綺麗サッパリと捨ててしまい、新しいおいしい水でボトルを満たす。

坊がつる到着 12:05 法華院温泉を通過し、坊がつるに到着する。

大船山腹の紅葉 大船山腹の紅葉を仰ぎ見る。

大船山腹の紅葉② 今が盛りと色づいている。

ススキとのコントラスト ススキとのコントラストが美しい。

三俣山 坊がつるからの三俣山全貌。
溶岩の流れによる山塊の形成がよくわかる。

筑後川源流 坊がつるを流れる鳴子川。 うすいブルーの色をしている。
この流れが、筑後川源流のひとつとなっているのだ。
坊がつる、そして久住山系は、筑後川の源だった。 かの、團伊玖磨作曲の合唱組曲に謳われた「筑後川」だ。

紅葉に別れをつげる 何という美しい色の共演・・。
12:32 紅葉に別れをつげ、帰途につくことにする。

◇このあと、約2時間をかけて長者原へもどるわけだが、標高1230M付近の坊がつるから、一旦標高を上げ、標高1358Mの雨ヶ池越へ。そこから三俣山を回り込むようにしながら、標高約1030Mの長者原へと下りる。

◇この間はろくに写真も撮っていない。
なにしろ、足の痛みが極限を迎えている。足を引きずり引きずり、のろのろとしたペースでしか進めない。

◇2016年、霧島連山への山行で判明することだが、なんと登山靴自体のサイズが小さかったのだ。霧島山行の初日に、案の定午後になるともう痛くて歩くのが嫌になってくる。翌日試しにスニーカーで登ると、ほとんど痛みの出ないことでやっとわかったという、なんとも間抜けな話だった。
しかしこのときは知る由もなく(気が付きそうなものだが)、痛みをひたすらこらえて歩き続けるのである。 右足親指の爪 一月後、右足親指の爪が完全に剥がれ落ちた。

■まとめ■
九州での本格的な登山のはじめの山は、やはり久住であった。
結果はと言うと、登山初心者も多い比較的やさしい山でも、舐めてかかってイケイケどんどんだと、手痛いしっぺ返しを食らうことにもなる。水の確保がどの地点まで可能なのかはきちんと調べておかなければならなかった。

だが、全体としてみればとても楽しく、素晴らしい山行だったことは間違いない。美しい紅葉、雄大な火山景観、流星群、イノシシ・・・どれをとっても心に残る思い出の山行となった。

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