桜について

願わくば 花の下にて 春死なむ

       その如月の 望月の頃

■4月
桜の季節がうつろってゆく。
昨年(2019年)の今頃まで、わたしは福岡市に住んでいた。 駅で言えば、中心部の「天神」の一つ西隣が「赤坂」、ついで「大濠公園」、 そして住まいのあった「西新」となるのだが、 この赤坂駅から大濠公園駅にかけては、地下鉄路線の上を通る「明治通り」の南側に、 かつての黒田藩藩主、黒田長政の手になる福岡城址とそれに連なる大濠公園があって、 都心のど真ん中に、広大な水と緑の空間を提供している。
福岡城は地元では「舞鶴城」と呼ばれることが多い。 そして桜の名所でもある。 職場の近いこともあり、舞鶴城址での花見の酒宴も催されたが、 どちらかと言うと仕事帰りに(午後10時ぐらいから)、ゆっくりと一人で夜桜を見て回ることが多かった。 そのまま、かすかな花の香りに身を任せて、家までそぞろ歩くこともある。
東京に戻った今となっては、懐かしいことだ。

花見には人それぞれに流儀があって良い。
私の場合、
 一、一人で見ること

次に
 二、夜に見ること

そしてなんと言っても、
 三、一人見る夜桜はソメイヨシノに尽きること

だ。

語弊があってはいけない。
ソメイヨシノ以外見てはならぬ、ということではない。

桜といって、私が思いうかべる桜のひとつには、故郷の桜もある。
故郷の東北の野山を歩けば、時折ハッとするほど美しい山桜に出会うことがある。
東北の春は遅く、緑の芽吹きとともに桜も咲くのだ。
山桜はソメイヨシノよりも遅咲きの桜ということもある。
緑の中に埋もれるように咲く濃いピンクの山桜花。
まことに美しいと言うほかはない。
この情景は胸に刻まれている。

それでも、贔屓の桜は数々あれど、 桜といえば誰がなんと言おうと、ソメイヨシノに勝るものも無いと思うのだ。
春、まだ葉もつけぬうちに咲き、葉も開かぬうちに散るソメイヨシノに、 強い思い入れのあるのは、私だけではあるまい。
なぜだろうか・・

■■モノクローナルの悲しみ
ソメイヨシノは、エドヒガンとオオシマザクラが交雑してできた単一の樹を始祖とするクローンであることが近年明らかにされた。
この単一クローンソメイヨシノは、江戸時代後期にはすでに開発されていたというから驚く。
モノクローナルであるかぎり、一般にソメイヨシノ同士での交配では種子ができない。
永きにわたり、接ぎ木や挿し木で増やされてきたのだ。
後に、戦後から高度成長期にかけて全国で多く植えられた。
ソメイヨシノはクローンであるため、全ての株が同一に近い特性を持っている。
病気や環境の変化に負ける場合には、多くの株が一斉に影響を受け、 同じ時期に植えられた株なら、樹勢の衰えを迎えるのも同時期、と考えられている。 このため2005年度以降には、苗木の配布や販売が中止されてしまった。
ソメイヨシノの代替品種とされたのが「ジンダイアケボノ」だ。
花や開花時期がソメイヨシノと類似している上に、 ソメイヨシノが罹りやすい「てんぐ巣病」にも強いということで、植え替えを推奨されている。
ジンダイアケボノとはどのような品種なのか?
日本からアメリカへ送られたソメイヨシノと、別品種の桜が交雑した「アケボノ」という桜が、 今度はアメリカから日本へ逆輸入される。 この桜を神代植物公園で接ぎ木して育てるうち、そのうちの1本が「アケボノ」とは異なる特徴の花を咲かせているのが見つかる。 この桜こそが「ジンダイアケボノ」だという。
ジンダイアケボノは、遺伝学的には母親がソメイヨシノだが、父親である桜の品種がわかっていないらしい。 ソメイヨシノとは別の日本の桜だという説が有力といわれている。
いずれにしろこのまま時代が進めば、日本を代表する桜のソメイヨシノの時代が終わり、ジンダイアケボノの時代になるという。

しかしだ。
ジンダイアケボノとソメイヨシノでは、あきらかに花の雰囲気が異なる。
ジンダイアケボノは、花の赤味が濃いのだ。
ソメイヨシノの花は、咲き始めには花床と呼ばれる花びらや雌しべの付け根の部分がやや濃いピンク色に染まるのだが、 間もなくそれはうすい緑色となり、花の白さをより白く見せることになる。
花びらは、ほんのかすかな紅色だ。
改めて観察すればわかることだが、我々が思い浮かべるよりも、ソメイヨシノの花は白い。 桜の全体像を捉えて、かすかな桜色を感じることができる。
この繊細な白さにこそ、人は桜の美しさを感じとるのではないか。

■■■夜桜
よく晴れた日に、青空のもと楽しむ桜もあるだろうが、 私であればむしろ曇り日の桜に風情を感じる。
そしてやはり夜桜。
桜を愛でるなら、やはり夜桜をおいてほかにない。
私も舞鶴城の桜を夜にめぐった。
この時期に、福岡では桜まつりと称して桜をライトアップする。
それも様々なカクテル光線で桜を塗り照らしている。その浅はかさよ。
こんな無残な桜もあるまいと思う。
夜桜は月明かりと星明りで愛でるもの。 100歩譲って、水銀灯の青白い光でながめるものだ。
だから、ライトアップが終わる夜9時以降に、私はたびたび城跡を彷徨した。
暗闇の中、爛漫の桜花は音もなく咲いている。
ふと低い枝の花に顔を近づけるが、かすかな、ほんのかすかな香りよりしない。

時間も遅くなり、肌寒さもいや増すなか、花見客もいなくなった城址で一人、 咲きほこる花々を下から飽くこともなく眺めている。
するとそうした風景が、ふいにゆがみだすような刹那がある。
桜全体が一つの生き物の塊のようにも見え、めまいを覚える。
風に乗って、遠くの酒宴の声がかすかに聞こえてくる。
その音までも、なにか遠い昔の大工や左官の酒盛りの、禍々しい笑い声にも聞こえる。
そしてその笑い声らは、黒黒とした桜の幹の根元から聞こえるようになる。
確かに土の下から湧き上がって響いている。

■■■■恐ろしの桜
音もなく爛漫と咲く桜に包まれたとき、私は桜の美しさと等量以上に、 背筋になにかあてがわれたような恐ろしさを感じることがある。
それは何も城址の桜だけでなく、市井の桜にあっても感じられることだ。
なぜだろう。

唐突かもしれないが、かの『平家物語』の有名な冒頭部分は次のように始まっている。

 祗園精舎の鐘の声、
  諸行無常の響きあり。
 娑羅双樹の花の色、
  盛者必衰の理をあらはす。
 おごれる人も久しからず、
  唯春の夜の夢のごとし。
 たけき者も遂にはほろびぬ、
  ひとへに風の前の塵に同じ。

口語訳は次のとおりだ。

 祇園精舎の鐘の音には、この世のすべては絶えず入れ替わってゆくという、無常の響きがある。
 沙羅双樹の花の色は、どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。
 いかに権勢を振るうことのできる者も、その栄えは、ながくは続かぬ春の夜の夢のようなものにすぎない。
 結局は滅び去ってしまうのは、風に散る塵と同じようなものだ。

頭上を覆い尽くす桜花に、たびたび平家物語のこの書き出しが私には聞こえてくる。
桜の黒々とした幹の根元の土には、たくさんのいにしえ人がいる。
その者どもの笑い声が、湧き上がるように聞こえてくる。
元は白い桜花がかすかな紅色なのも、者どもの血の色なのだろう。
かくも桜は恐ろしいのだ。

■■■■■歌の桜、一
城址の桜となればもう一つ、『荒城の月』を思い浮かべる。

 春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして
  千代の松が枝わけいでし むかしの光いまいずこ

                   作詞:土井晩翠
                   作曲:滝廉太郎
                   編曲:山田耕筰

滝の作曲が1901年というから、日露戦争前夜、今から120年ほども前になる。 西洋音楽の曲想を取り入れた、悠久無常を詠う名曲とされている。
滝は故郷の大分県竹田市の岡城址に曲想を得たという。
ドイツ留学するも結核に冒され、23歳の若さで没する。
一方の土井晩翠も、やはり故郷仙台の青葉城をバックボーンとしてこの詩を構想したという。

晩翠の歌詞には、桜を想起させるキーワードが含まれていると私は思う。
まず「荒城」。荒れ果てた城とは無論、栄華を思うままにした一族の滅亡を思わせる。
そして「花の宴」の花は、春高楼の・・とあるので、まさに「城址の桜」であり、宴の催される夜の夜桜に違いないのだ。
「千代の松」とは永い年月を刻む松であり、その松ケ枝を分けて「むかしの光」を探そうとする。
だが荒城にかつての栄華の痕跡は無い。
栄枯盛衰を永い間ながめてきた「千代の松」だけが、その無常を知っている。
そして今は、桜がこの高楼に静かに咲き誇るのみである。
高楼はおそらくは櫓のようなものかと思うが、後の建物であろうと推察する。
なぜなら「今いずこ」と謳われているからだ。荒れ果てる前からの建物が残っているはずがないから。
以上が、<歌詞第一番>だ。

「むかしの光」は、刀の光でもある。
なぜなら、歌詞第二番に「植うるつるぎに照りそいし」とあるからだ。
荒城の桜の下に、一本の日本刀が突き刺さっている。
「照りそう」のはもちろん月光であり、月光の下の花の宴でもある。
月が煌々と照るなか、刀の鍔が強いコントラストで刃に影を差している。
その緊張感が極めて写実的に描かれている。
刀は、武士の携えるもの。
武士は常に、死と隣り合わせだ。
音もなく散ってゆく桜に、つわものどもの諦観を重ね合わせる。
世の中に美しい花は数あれど、それは皆、この世の花。
さくらは、あの世の花。
私が桜に恐れを感じずにはいられない理由はここにある。

■■■■■歌の桜、二
桜は若木のうちは立ち姿もまっすぐで、樹皮も明灰色でつやがあるが、
古木となるほど幹は折れ曲がり、樹皮も大いに黒黒として襞増してゆく。
長い人生を歩んできた古老の人となるのだ。
そうして朽ちて、いずれは土にかえってゆく。
ソメイヨシノもまた、滅びる運命にある。
このような無常観を、我々日本人は共有している。

かつて人々は、常に死と隣り合わせにいた。
戦乱、疫病、飢え・・。
武士でなくとも死は身近だった。
仏の教え以前に、常なるものは無いのだということを、昔の人々はみな知っていたのだろう。
世の無常を桜に見出し、詠まれた歌もまた多い。

 散ればこそ いとど桜はめでたけれ
         憂き世になにか 久しかるべき

これは伊勢物語にある、詠み人知らずだ。
この世の中で一体何がいつまでも変わらずにいるといえようか。
そうした無常観を、散りゆくゆえにこそ一層に美しい、という表現を通じて歌い上げる。
桜は咲いた瞬間から、やがて散りゆく運命を背負っている。
人もまた同様で、生まれたからこそ、死ぬのだという。
伊勢物語の成立は平安初期とされる。
遠く平安の頃から詠われた無常観が、晩翠の「荒城の月」にも、 そして今日の我々の体内にまでも、通底して流れている。

このような句もある。

 散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛和尚)

今まさに命が燃え尽きようとしている時、たとえ命が長らえたところで、 散りゆく命に変わりはないという、良寛の辞世の句だ。

 風さそふ 花よりもなほ 我はまた
       春の名残を いかにとやせん

風を自ら誘って散る桜の花よりも、なお急いて散ろうとしている自分は、 今生への心残りを、どうするすべもない・・。
同じ江戸時代、太平の元禄に散った浅野長矩の、これも辞世の歌である。

歌や句にも見るように、桜には「恐れ」の要素が含まれている。
その背景には、人間の死がある。
だが「無常」観には、恐れるだけでなく、うけいれる要素も含まれる。
死も、死者も、日常の生活と共に在ったからなのか。

本稿の冒頭の歌、これは、私の好きな歌だ。

 願わくば 花の下にて 春死なむ
        その如月の 望月の頃

(願わくば、桜の下で春に死にたい。それも三月の満月の頃に。)
平安の末期、西行法師の歌だ。
「きさらぎの望月」は、陰暦二月、現在の三月の十五夜の満月の頃だという。
ここにも、桜に月が登場する。
どちらも人の死を、深く想起するものだが、どことなく長閑と言うか自然体だ。
むしろ、死を進んで迎えようとしている。
我々現代人もよわいを重ねれば、このような境地になれるのだろうか。
自分には自信がない。
今生へしがみついて生きている身には、おおいに惑いが勝ってある。

■■■■■■■惑いの桜
おわりに。

 世の中に 絶えて桜の なかりせば
        春の心は のどけからまし

古今集在原業平の歌。
人は桜が咲くのを待ち、散るのを惜しむ。桜があるからいつまでも心穏やかとならない。
やはり、桜は一筋縄ではいかない。
そして春は、のどかに見えて、のどけからぬ季節なのだ。

2020.04.29. 桜の稿、了。