
今回は縦走屋の自分にとって初めて往路をそのまま戻ることとなる悔しい山行となった。 当初、この山行の概要は以下の通りだった。

2月8日(土):秩父川又から突出(ツンダシ)尾根を進み樺避難小屋を経て雁坂峠
2月9日(日):雁坂小屋→水晶山→古礼山→雁峠→笠取山→唐松尾山→将監峠
2月10日(月):将監小屋→竜喰岳→大常木山→飛龍山→北天ノタル→三条の湯
2月11日(火):三条の湯→お祭り→奥多摩駅
これまで冬期の登山はやってこなかった。 理由は年齢とともにリスクが高くなってきていることもだが、 装備に金がかかりすぎることが大きい。 だが雪山への憧憬に抗えず、奥秩父山系の2000M圏であれば、 かろうじて今の装備+αで乗り切れるのではないか。 実証実験も兼ね計画に移したわけである。 結果は敗退であったが、得るところは大きかった(後述)。
一方天気はというと、今シーズン最強寒波の到来である。 雁坂峠の最低気温はこの連休中軒並み-16~-17℃、風速4~6m/sの予想だ。 雨雲レーダーでは北陸などで大雪、埼玉・山梨県境は晴れだがときおり雪雲がかかる。 峠から秩父側はそれなりの積雪深が予想された。
スノーシューも輪管もないので川又からのルートはリスクが高すぎると判断し断念。 急遽西沢渓谷から雁坂峠を目指すことにした。 2日目以降は同じルートである。
<第一日目>

自宅発6:00→中央線→8:46山梨市駅着
山梨市駅前9:12→山梨市市民バス→10:09道の駅みとみ着
準備を済ませアイゼンを装着して、出発は10:30となった。

天気は晴れだが、ところどころに雲の塊がある。
午後になればこれらがさらに集まり雪を降らせるだろう。
R140を横切り「雁坂峠」の看板に従い、一般道から斜面を登って林道に出る。

積雪はそれほどでもないがやや歩きづらい。
ここから林道終点まで無雪期のコースタイムで1時間10分ほど。
秩父と山梨を結ぶ有料道路の「雁坂トンネル」に続く鶏冠山大橋の下をくぐって林道を進む。

唐松尾沢沓切沢橋が林道終点で、そこからは登山道となる。

どうやら先行者が2人くらいいるようだ。 ありがたくトレースを使わせてもらう。
林道終点から雁坂峠までは夏道2時間30分のコースタイムだ。

左に久渡沢を見下ろしながらの左岸トラバース道はアイゼン必須の急斜面だ。

雪を踏み抜いて落ちてしまえば這い上がった来れそうもなく、万事休すとなる。

やがて渡渉点が2か所、小さな沢と峠沢を越える。
最初の沢で給水した。上に着くまでに凍らなければいいが。

続いて峠沢。慎重に渡渉した。
ここでは絶対に登山靴を濡らすわけにはいかない。
この気温で濡らしてしまえば凍傷のリスクが一気に高まる。

ここへきて僅かながら降雪を確認。
今度は峠沢の右岸を行く。
やがて峠沢を右に見下ろし離れながら高度を増して行き、
井戸沢の小さな流れを越える。

ここからは樹林帯の急登となりジグザグを繰り返しつつ喘ぎながらひたすら登る。

突然声がして見上げると3人ほど降りてくる。
どこから来たかと問うと、
「この道を峠まで上がって水晶、古礼と越え雁峠から西沢へ周回する予定だったが、水晶の取り付きから雪深くて無理だとあきらめ戻ってきた」という。場所により腰の高さまで踏み抜いたというから、予想を超えた積雪が昨夜までにあったのだろう。
「(今歩いている)このトレースも最初は無かったんです」と言われるので、「本当に助かっています、ありがとう」と言っておいた。

3人と別れて登りを再開するも、
そうか、峠から水晶へはノントレースか、という事実が重くのしかかってきた。
まずは雁坂峠、そして雁坂小屋までなんとしても到達しよう。
そこから先は小屋で考えよう・・・。

急斜面を登り続けること小1時間ほど、樹林帯を抜けつつある。
振り返ると笛吹川(西沢渓谷のダム下流域)から甲府盆地が霞んで見える。





開けた分雪も深くなる。トレースをたどりながらだが、踏み抜きも増える。






雁坂峠は奥秩父主脈の縦走路と秩父往還の十字路となっている。






入り口の扉を開けると物好きが一人いる。 どこから来たのかと聞くと川又から来たという。 後で聞いたら47歳の「若者」だった(仮にA氏)。 30分くらい前に到着していたというから、なかなかいいペースだ。 川又方面のルートは小屋前にロープが張ってあり、「冬期通行禁止」と書かれている。 知ってはいたがネットに履歴もあり、積雪がそれほどでもなければ通行可能と考えていた。 私は今回直前に断念したが、彼はそのルートを来た。
もう一人、私と同じルートで後から来た方(仮にB氏)を含め、今日の小屋の住人は3人となった。 小屋の中も屋外のように寒い。 板壁の隙間から小上がりに粉雪が侵入している。
私はA氏B氏に断って、小上がりにテントを張らせてもらうことにした。 手がかじかんで思うように作業がはかどらない。 細かい作業は手袋を外すのだが、その都度ビリビリとかじかんでしまう。 ようやくテントを張り終えたら、何か暖かいものを飲まないと低体温になってしまう。 マットを敷き、シュラフに半分くるまり、ダウンジャケットをひっかぶってバーナーに着火する。 もってきた水はというと、シャーベット状に凍っている(これは想定内)。 なんとかコッヘルに絞り出してお湯を作る。 お湯を飲んで今度は飯の準備だ。 今夜はレトルトのカレーライス。お湯で温める。 先ほどお湯を沸かした際に吹きこぼれたお湯が板の上でもう凍っている。 ご飯はコンビニで買ってきた白ニギリだが、これもカチコチに凍っているので お湯をかけて戻し、温めたルーをかけてかき込む。
まもなく日没になるが、気温はどんどん下がっている。 行動中はダウンジャケットなしでよかったが、じっとしているとガクガクと体が震える。 明日のことを考えたが、たとえ晴れたとしてもノントレースのラッセルとなれば、 将監峠までたどり着ける自信が持てない。
それに小屋の中でテントを張ってもこの寒さだ。 明日は将監小屋だが小屋は当然閉鎖中で開放もしていないので、 外にテントを張るしかない。 明日も本日同様極低温が予想されており、とても耐えられそうもなかった。
A氏B氏と共に震えながら山談義をした後に、自分は明日撤退することを表明した。
A氏は水晶・古礼を越え周回して西沢へ降りるという。 B氏が問題で、破風山を越え甲武信岳から三宝山を越え十文字峠へ向かうというので、 A氏と共に止めるよう促した。この気象条件でとても無謀に思えた。
そのうちみな眠りに着こうとするが、寒さで震えが止まらない。 ダウンジャケットに足を突っ込んでも、足の指先がキンキンに冷えている。 とても眠れたものではなかった。 20~30分眠りに落ちては、激しい震えで目が覚め、何度も寝返りを打つ。
さて、小屋の中ではあらゆるものが凍り付いている。 水が凍り付き、手袋が凍り付き、靴も脱ぐときにかかとを踏んづけた皺がそのまま凍っている。 もって行った新聞紙を靴の中にくしゃくしゃにして詰め込み、周りも新聞紙でくるみ、 さらにビニール袋でくるんでテントの中に入れたのだが、 凍ったまま朝までその形が元に戻ることはなかった。
<第二日目>

長く眠れぬ夜を過ごし、4:40分にかけた目覚ましを止めたあと、
1時間ほど二度寝してしまい、気が付くと5:40だった。
テントから顔を出すとA氏は先ほど出発したという。
B氏は身支度を整えつつある。

寒すぎて何もやる気にならないが、仕方なく起き出してお湯を沸かしコーンスープを飲む。 次にセブンイレブンの朝がゆをつくり食す。
2/9の日の出は午前6:39。 小屋の中の寒暖計を見ると、7時時点でマイナス14℃だ。外は一体何℃まで下がったことだろう。
B氏に「どうするのですか」と問うと、私と同じルートで撤退したいという。
私が準備に時間がかかるというと、待っているという。
大急ぎで支度をしトイレも済ませてからの出発は、7:30にもなっていた。

天気は快晴、ただし風若干強く、外気温マイナス17℃(7時30分時点)。
強烈な冷え込みの中、青空に映える展望が素晴らしい。


雁坂峠到着は7:50頃。はたして大展望だ。

正面に西沢渓谷と甲府盆地。

左手に雁坂領への登り斜面。右手には水晶山。

そして水晶山の右手から富士山!



振り返れば奥秩父の深い深い山並み。

水晶方面へ少し歩いてみると、おそらくA氏のものと思われるトレースが続いている。 もしかすると、今からでも水晶・古礼を越え雁峠へ、さらには笠取を越えて将監峠まで抜けられるのではないか・・・ そのような考えがふと頭をよぎった。
が、直ちに打ち消した。 雁峠まで抜けられても、その先にトレースがある保証は無い。 そもそも出発が遅れているし、その先に踏み出して時間が押してしまえば完全に詰む。
それに将監峠に着いたとしても、一夜を幕営で凌げるとは思えなかった。 最初に撤退と決めたではないか。 当初の決定事項は覆してはならない。迷いは遭難に直結する。 天候が今どれだけよくても、午後には牙を剥くのだ。
8:00下山を開始する。B氏もすぐ後ろから降りてくる。



急斜面の途中何カ所か、富士山への眺望が得られる。
冷厳にして孤高の富士の姿は、人を寄せ付けぬ厳しさを体現しているかのようだ。
沢に出会い、渡渉とトラバースとを繰り返す。




やがて林道に出る。

B氏が11時台のバスがあるという。そのあとは15時台までないとも。 そうなるとなんとしても11時に間に合いたい。 早歩きで林道を下り、R140に合流したのが10:50。
間に合ってよかった。バスは道の駅11:23発だった。西沢渓谷から山梨市行は一日5本程度。それでも登山をする者にとっては有難い存在だ。
次のバス停(新地平)で登山者が一人乗ってくる。 見るとA氏ではないか。
彼は水晶・古礼を雁峠まで踏破し、そこから新地平まで下山してきたのだ。 再会を喜ぶ。バス到着の3分前くらいに着いたそうだ。
山梨市駅に12:20到着。A氏B氏とはここで別れて「かいじ」に乗り、 14:15には自宅に着いた。
家族には「ずいぶんとお早い帰りで」と冷やかされた。
悔しさは残るが、賢明な判断だったと思う。
それに特に装備の面でいろいろと得るところがあった。
次稿では装備面の検証をしたい。

奥秩父敗退の稿、了。