第二日目の後半戦。
天狗のコル出発は12:00頃だったと思う。20分も昼食休憩してしまった。
西穂山頂から4時間もかかったのだし このままでは奥穂高岳着は16時を軽く過ぎるだろう。 まだ雨は降っていないが、天気が崩れてきそうで少し焦る。 悪路ではあるが天狗のコルから岳沢小屋へ下るこのコース唯一のエスケープルートもある。
だが下りで使うにはリスクが高いコースだし、ここで撤退という選択肢は自分の中ではなかった。
進むぞ。
天狗のコルの標高がおよそ2835m、ジャンダルムの足元がおよそ3135mだから、 ちょうど標高差300m登り返す。
樹木どころか草もろくに生えない岩場を30分ほど登ると、 両側が切れ落ちた「蟻の戸渡り」的な場所に来る。
あまり下を見ないように慎重に進む。
そうしてピエールは蟻になった。
ここで本降りになるという。
奥穂へは右の長野側を巻くのだが、その前に急いで雨具を出し、荷物をデポしてジャンに登る。
ジャンピエール、ついにジャンダルムへ登頂す。
本来、輝かしいこの功績を天高く叫び上げたいところだが、土砂降りという。 写真も3枚しかない。 早々に荷物のところへ戻ることに。
ジャンの根元まで戻ってきた。
ここからチェーンを手に4Mほど岸壁を登り、そこからジャンダルムを右へ巻いていくのだが、 これが結構危険なトラバースなのだ。落ちればおしまい。しかも雨で岩は濡れている。 できれば乾いた岩をトラバースしたかった。
さあロバ耳を下降する。
実は今回山行のクライマックスはここの下降部分と考えている。 大キレットよりも馬ノ背よりもロバ耳の下降が最もリスクが高いのではないかと。
よりにもよって、依然土砂降り。 だが戻ることもできない訳で、腹は据わってきた。 両の頬と両の太ももをバンバンと叩いてから岩に取り付く。
ちなみにこのような連続する岩場で、私はグローブは着けない。 軍手もはかない。あくまで素手で、岩の感触をしっかりと確かめながら登攀する。 命がかかっているから、素手の感触を信用することに決めていた。
だが雨で気温が下がり手もかじかんでくる。 慎重に、着実な三点支持で。
ここで写真は途切れる。 雨で写真どころではないから。 ロバ耳をなんとか攻略し、急なガレ場を登り返すと、馬ノ背が見えてくる。 研究はしてきたものの、緊張と、天泊装備の17~18kgの荷物を背負ってここまで、疲労もピークだ。
ずぶ濡れになりつつウマノセに取り付きながら、「なんでこんなことしてるんだよ」が何度も何度も口から洩れる。 もう無茶苦茶だが、冷静さを失うわけにはいかない。
ナイフリッジに股間を引き裂かれそうになりながら馬ノ背を登り終えた。 足を滑らせれば即死だったがそのような事にはならず、何とかなった。
ここまでくれば奥穂高岳まであと一息だ。 気を抜くわけにはいかないが、山頂までは危険個所はない。
よくここまで来た。 考えてみたら、奥穂まで誰にも会わなかった。 土砂降りの中でお宮のある台座まで上がって、きゃあきゃあはしゃいでいると、 中高年の登山者が前穂高方面から到着したので、少しだけ会話した。 せっかくの山頂だが天気がこれなので早々に切り上げ、穂高岳山荘へ向かう。
実はここから山荘まで約30分の道中、小屋が真下に見えるところからの下りが、 一番の危険個所なのかもしれない。 ハシゴ場と鎖場が連続する垂直の下りだが、雨で滑りやすい。小屋の目の前で死ぬのはごめんだ。
かなり時間を使って、何度も「慎重に、慎重に」と自分に言い聞かせ、 やっと山荘の扉を開けたのは、PM17時に近いころだ。
この大雨で幕営する意気地はすっかり萎えてしまい、小屋泊を申し出る。 もちろんこの時間なので素泊まりのみの受付だ。小屋は混んでいた。
雨具は着ていても中までしみこんで全身ずぶぬれ状態だ。 直ちにウエアからリュックから登山靴までをすべて乾燥室に持ち込んで乾かす。
靴の中敷を乾かしながら、今日の無茶苦茶な一日を思った。 この土砂降りの中、死なずによくたどり着いたな~。ロバ耳だのウマノセだのを越えて・・・
一つだけ幸いだったとすれば、風がなかったことだ。 強風が吹いていたら厳しかっただろうな・・・
一気に疲労感が襲ってきてひたすら横になりたかった。食欲もない。 飯も食わずに19時半ごろ就寝。
明日もハードな一日になる。