【SARS-CoV-2】新型コロナウイルスを理解する 

SARS-CoV-2(サーズコロナウイルス2) 新型コロナウイルスを理解する

SARS CoV-2の外観図 PD https://phil.cdc.gov/Details.aspx?pid=23312
This image is a work of the Centers for Disease Control and Prevention, part of the United States Department of Health and Human Services.

東京の街中から人が消えるという、我々が経験したことのない世界が現実に生まれている。 世界の感染者数は、2020.05.22.時点で500万人を超え、死者は35万人に迫っている。 わずか4ヶ月程度で、このような別世界をつくりだした新型コロナウィルスとは、一体何者であろうか?

新型コロナウイルス感染症(COVIT19)に関しては、生命科学分子生物学的アプローチのほかに、公衆衛生上の観点や、臨床的観点、 あるいは数理モデルを用いた統計学的・社会学的観点など、 様々な科学分野の総力を結集して、このウイルスの克服に向けた研究が進められている。 しかしそもそも、
 ① 新型コロナウイルスの正体は何なのか(ウイルスの生い立ちや構造)
 ② なぜこれほどの感染力をもち、急速な病状悪化と高い死亡率をもたらすのか(細胞侵入メカニズムの特異性)
 ③ そして人類がコロナウイルスに対抗するにはどのような方法論があるのか(創薬など)
という、根本的な疑問があるわけである。
このうち、①はほぼ解明されている。②も多くは解明されつつあるが未解明部分も依然残っている。 ③はこれからのイノベーションをさらに待たねばならない。

本稿は、主にこの①〜②について、現時点までの理解を整理する試みだ。 本稿の著者は専門家ではない。有料論文の購読もしていない。従ってWebページ上の既出の論文や、分子生物学関係の著作などを基にして行う。画像等もライセンスフリーのものに限って用いる。 ばらばらにある新型ウイルスの情報を専門領域も含めて統合して、どこまでわかりやすく整理できるかトライしてみる。

1.SARS-CoV-2のウイルス分類上の位置づけ

今回の新型コロナウイルスは、SARS-CoV-2と言われていることからもわかるように、 今世紀はじめに世界中に多くの患者が出たサーズコロナウイルスとはいわば姉妹関係だ。 ヒトでは、風邪のウイルスなど7種類のコロナウイルスが知られるようになった。 今回の新型コロナウイルスもその一つだ。 このような位置づけは、中国武漢での流行確認から間をおかず、直ちに行われた遺伝子解析により明らかとなった。 解析に要した日数はわずか一週間である。 サーズコロナウイルスの遺伝子構造が明らかになるまでは、半年以上を要したと聞く。 それもそのはず、SARSの流行は2003年のことである。 ヒトの全ゲノム解析が完了したのが、この2003年だ。 これには先進各国の研究機関による国際コンソーシアムとアメリカの民間企業が競合して行われたが、 数年を要したと記憶している。 今日では、約32億5400万塩基対あるヒト一人分のゲノム解析に、わずか1日しか要さない。 驚くべき技術進展と言わなければならない。 それでも、今回の新型ウイルスのことは、わからないことがまだ多くある。

世界で検出された新型コロナウイルスを遺伝子型で分類すると さらにABCの3タイプに分類されると発表されたばかりだ。[4月28日付 米PNAS誌(初稿4月8日)] 中国など東アジアに多い型や、欧米で多く見つかっている型など「地域株」があるということだ。 ウイルスはヒトなどの細胞内で増殖しながら絶えず変異している。
世界各国での登録済ゲノム(4511人分)と、日本での陽性検体ゲノム(562人分)を統合し塩基変異を抽出、 ウイルス株の親⼦関係を解析したところ、2019年末から2020年4月までの約4ヶ月間でゲノム全域に少なくとも 9 塩基ほどの変異がランダムに発⽣しているとのことだ。[4月27日付 国⽴感染症研究所 病原体ゲノム解析研究センター] この疫学調査によれば、日本は第一波の武漢株(ダイヤモンド・プリンセス号株も含め)の抑え込みに成功したものの、 その後の欧州からの帰国者等を起点とする第二波クラスターを抑え込むことができなかった。 3月以降、感染リンク不明とされた孤発例が多数検出されるようになったことからも、 ヨーロッパ株を起点とした症例が国内に拡散したことが強く⽰唆されている(同疫学調査)。 こうした見解もすべて、世界と⽇本のゲノム情報を統合して塩基変異を抽出し、 感染クラスターの遺伝子特徴を明らかにして、ウイルス株の親⼦関係を一つ一つ解明していってわかったことだ。

ウイルスは細菌と異なりタンパク質やATPの合成ができないので、一般に代謝機能もなく自ら自己複製できないのは周知のとおりだ。 このために宿主に感染し、宿主細胞のタンパク質合成機構や代謝エネルギーを利用して増えていく。 ウイルスにも様々な種類があり、含まれる核酸の型などにより詳細に分類されている。 今回の新型コロナウイルスRNA型ウイルスだ。ウイルスの遺伝子がDNAではなくRNAなのである(一本鎖プラス鎖RNA)。 ここで「一本鎖」とはもちろんヒトゲノムのように二本鎖ではないということである。 「プラス鎖」とは、ウイルスのRNAが、そのままmRNAとして機能するということだ。 したがって宿主細胞内で<5'→3'>方向に読み込まれ、直接にタンパク質を翻訳する。 プラスがあればマイナスもある。 インフルエンザウイルスなどは「マイナス鎖」型であり、感染後に相補的なプラス鎖RNAを経てタンパク質の翻訳が行われる。
ちなみに、新型コロナウイルスと同じ一本鎖プラス鎖RNAのなかでも、逆転写酵素を持つものを<レトロウイルス>と呼び、HIV(いわゆるAIDSウイルス)などがよく知られている。レトロウイルスは宿主細胞に侵入後、逆転写酵素によりDNAを作成しこれが核に入って新たなウイルスの複製を行うのであり、今回の新型ウイルスの増殖方法とは異なっている。

新型コロナウイルス分類学上の位置づけは以下の通りだ。

 [第4群] ー [ニドウイルス目] ー [コロナウイルス科] ー [コロナウイルス亜科] ー [ベータコロナウイルス属] ー [SARSコロナウイルス-2]

役所の組織図のごときだが、これが国際ウイルス分類委員会(ICTV)による分類体系上の位置づけとなる。 [コロナウイルス亜科]では、現在27種類ほどが知られており、このうちヒトに感染するものは、SARSやMARSなど7種類だ。

ウイルス分類
CC BY Taxonomy tree of the order Nidovirales.webp
※図の最下部に「SARS-CoV」が表記されている。今回の新型ウイルス「SARS-CoV-2」は、これと横並びになる。

新型コロナウイルス (SARS-CoV-2)は 、2003年のSARSコロナウイルス (SARS-CoV) と同じ種(姉妹系統)と見なされている。
以降は、この新型コロナウイルスをICTVの命名に基づき【SARS-CoV-2】と記述する。「-CoV-」は《CoronaVirus》だ。《Virus》はヴィールス。日本では現在「ウイルス」と読ませているが、かつては「ビールス」と、言語に近い発音で読んでいた。一方「SARS:サーズ」は【SARS-CoV】とし、特に区別を必要とする場合、便宜上【2003-SARS-CoV】とした。
SARS-CoV-2のタンパク質やRNAを他のコロナウイルス類と比較すると、同じベータコロナウイルス属のMARS-CoVとはタンパク質で3割以下、RNAで5割と低い相同性だが、SARS-CoVとは8〜9割以上の相同性があるという。 だが、SARS-CoVの直接の子孫ではない。 元々コウモリなどの野生動物が保因していたものが、ヒトへの感染能力を獲得したと考えられている。 2020年3月には希少哺乳類のマレーセンザンコウから、ゲノムが85〜92%類似するコロナウイルスが発見されており、 コウモリ⇒センザンコウ⇒ヒト、というルートなのかもしれない。

2.SARS-CoV-2の構造

新型コロナウイルス画像
PD https://www.flickr.com/photos/niaid/49534865371/ NIAID

1. 概要

新型コロナウイルスSARS-CoV-2】の粒子径は50〜200 ナノメートル(nm)ほどの大きさだ。
1nmは、1mmの10万分の1、1mm=1000µm(マイクロメートル)、1µm=1000nmという関係だ。 サイズ感の話をすると、ウイルスの大きさが上記の通り、まあ大体100nmとして、細菌は1µm以上、天気予報でよく聞くpm2.5はまさに2.5µm、スギ花粉が30µmだ。ちなみに太陽の直径は地球の約109倍、スギ花粉はウイルスの約300倍だから、地球から見た太陽よりも3倍も大きい存在だ。いかにウイルスが小さいかがわかるだろう。
ウイルスは光学顕微鏡では見ることはできない。電子顕微鏡が普及しだしたのが20世紀中盤だから、それ以前の研究者にはウイルスの存在はわからなかった。

SARS-CoV-2の完全ゲノム配列は、上海公共衛生臨床センターらによって解読され、2020年1月14日に国際機関のデータベースに正式公開されている。 そのゲノムサイズは29,903 base(約3万塩基対ということ)であり、RNAウイルスの中では最も長い部類という。
SARS-CoV-2は、既知の他のコロナウイルスと同様に以下の構成要素からなっている。
これら新型ウイルスに関連するタンパク質は次々に解明されており、その詳しい構造はPDBプロテインデータバンク)に登録されていく。

⇒PDBのcovid-19特集ページ

 ①S(スパイク)タンパク質
 ②N(ヌクレオカプシド)タンパク質
 ③M(膜)タンパク質
 ④エンベローブ  ⑤E(エンベロープ)タンパク質
 ⑥RNA(ウイルス遺伝子、一本鎖プラス鎖リボ核酸

コロナウイルス断面

①S:スパイクタンパク質(スパイク糖蛋白、Sタンパクとも)(Spike glycoprotein)
Sタンパクは、粒子状のウイルス表面の膜に文字通りスパイク様に突き刺さった形をとり、王冠状にウイルスを取り巻いていることから、コロナの名の由来となっている。タンパク質と糖鎖からなっていて、宿主細胞への侵入に重要な役割を果たす。

②N:ヌクレオカプシドタンパク質(nucleocapsid Protein) ヌクレオカプシドタンパク質は、カプシドがウイルスRNAゲノムと結合したもので、これをリボヌクレオカプシド(リボ核タンパク質(RNP)複合体)、または単に「ヌクレオカプシド」と言っている。パッケージ化によりゲノムである核酸核酸分解酵素などから保護する。このパッケージングは、ウイルスのセルフ-アセンブリと複製の基礎的部分である。なおエンベローブを持たないウイルス種では、このNタンパクが最外皮となるわけだ。

③M:膜タンパク質(Membrane Protein) ウイルスエンベロープの構成パーツで、スパイクタンパク質の間に局在しており、ウイルスの出芽プロセスの主要な駆動力となっている。他のタンパク質との相互作用により、ウイルスの形態形成とアセンブリで中心的な役割を果たす。

④エンベローブ(Envelove)
エンベロープは通常、宿主細胞膜(リン脂質とタンパク質)に由来する膜であり、ウイルス粒子(ビリオン)の最も外側に位置している。ウイルスの基本構造となるヌクレオカプシド(ゲノム+カプシド複合体)を覆っていて、宿主の免疫系を回避することを助ける。コロナウイルスのなかまは、このエンベローブを持つウイルス種だ。

⑤E:エンベローブタンパク質(Envelove Protein) エンベローブタンパク質は小さな内在性膜タンパク質で、ウイルスのライフサイクル(アセンブリ、出芽、エンベロープ形成、病原性発現等)のいくつかに関与する。イオンチャネルとしても機能し、他のコロナウイルスタンパク質や宿主細胞タンパク質と相互作用している。このEタンパクを欠損させたウイルスは、感染・成熟・増殖などの能力は著しく低下するという。

2. Sタンパクの構造

Sタンパクの構造

SARS-CoV-2のスパイク糖タンパク質 (6VSB spike protein)
 ※全タンパク質はホモ三量体で、1つのモノマーのみを強調表示しており、残りのトリマーは灰色表示
 (青): N末端ドメイン
 (マゼンタ)ACE2受容体結合ドメイン(RBD)
 (シアン)一般構造
 (オレンジ):中央らせん(内側の面)ホモトリマー
 (紫):コネクタドメイン
     ;スパイクタンパク質をウイルスの脂質エンベロープに固定
 (黄):ジスルフィド結合
 (赤):炭水化物
 (灰色):ウイルスの脂質膜

Sタンパク質はⅠ型膜貫通糖タンパク質だ。 ヒトでは全タンパク質のおよそ三割が細胞膜貫通型タンパク質であり、このうち細胞外にN末端、細胞内にC末端を持つ膜タンパク質をⅠ型タンパク質と言う。N末端はアミノ基(-NH2)、C末端はカルボキシル基(-COOH)、タンパク質がmRNAから翻訳されるときはN末端から作られはじめ、C末端で終わる。ウイルスでは細胞膜ではなくエンベローブ膜に、このSタンパクが突き刺さっているわけだ。 コロナウイルスの細胞への侵入は、ウイルスのスパイク糖タンパク質(Spike Glycoprotein)を介して起こる。
Sタンパク質は2つのサブユニット、【S1】と【S2】で構成されている。 コロナウイルスでは、まず(S1)サブユニットが受容体結合ドメイン(RBD:レセプタ-バインディング-ドメイン)を介して宿主細胞受容体に結合する。(S1)は受容体の認識と結合に関与するのだ。続いて(S2)にある融合ペプチド(FP:Fusion Peptido)がホストの標的細胞膜に挿入できるように、スパイク構造の幹である(S2)サブユニットが変化するという流れになっている。
SARS-CoVでは、この<S1+S2>が3つ合わさり、ホモトリマー(同一分子三量体)を構成している。
Sタンパクはつまり、花びら(S1)と軸(S2)が3本合わさったような形をしていて、まず(S1)が宿主細胞に取り付き、その後花びら部分(S1)だけが離れてから、軸部分(S2)が宿主細胞膜と融合するのだ。膜融合に先立って(S1)と(S2)が開裂しなければならないが、その役目(切断)は宿主細胞側に常駐する酵素が担う。このながれは、SARS-CoV-2も同様と思われる。
このほかSタンパクは、大変多くの宿主細胞膜由来の糖鎖をまとっている(従ってスパイク糖タンパク:Glycoproteinという)。SARS-CoV-2のSタンパク遺伝子は、糖鎖付加のためのアミノ酸配列をエンコードしている(翻訳後修飾)。この糖鎖付加(グリコシル化)が、例えば免疫回避など重要な役割を果たしており、Sタンパクの機能に多様性を持たせている(後述)。

3. エンベロープ とEタンパク質

エンベロープは、ウイルスが感染した細胞内で増殖しそこから細胞外に出る際に、細胞膜あるいは核膜などの生体膜を被ったまま出芽することによって獲得される。このため基本的には宿主細胞の脂質二重膜に由来するものである。この脂質とSタンパク/Eタンパク/Mタンパクが結合し、その周りを取り囲んでエンベロープを形成する。
エンベロープタンパク質(E)については、ウイルスが増殖して宿主細胞から出芽する際、ウイルス遺伝子にコードされている膜タンパク質の一部を細胞膜などに発現した後で、膜と一緒にウイルス粒子に取り込み、Eタンパクとして粒子表面に発現させるという。 Eタンパク質は、ウイルスが宿主細胞に吸着する際にそのレセプターに結合したり、免疫などの生体防御機能を回避したりなどさまざまな機能を持つもち、ウイルス感染に重要な役割を果たしている。
一般に細胞膜に由来するエンベロープがあるウイルスでは、Eタンパク質が細胞側レセプターに結合後、ウイルスのエンベロープと細胞膜とが膜融合を起こすことで、エンベロープ内部に包まれていたウイルス遺伝子やタンパク質を細胞内に送り込む仕組みのものが多い。

3.SARS-CoV-2の細胞侵入機構 ー宿主プロテアーゼ依存ー

1. 侵入機構の概要

SARS-CoV-2では、ウイルスSタンパクが受容体結合後に、宿主細胞側酵素の働きで開裂活性化され、エンベローブと細胞膜の融合が起こる。これによりウイルスは、遺伝情報を包んだヌクレオカプシドを細胞質へ送り込むことができる。Sタンパクの開裂は宿主側酵素(プロテアーゼ)に依存するわけだが、ここにはフーリン及びTMPRSS2の2つのプロテアーゼが重要な役割を果たしている。また受容体はSARS-CoV同様にACE2(アンギオテンシン変換酵素Ⅱ)であることがわかっている。

2. 宿主細胞侵入機構の解明研究

■インフルエンザやHIVなどのウイルスの感染、すなわち宿主であるヒト細胞への侵入機構はこれまでに多くの研究成果がある。 国立感染症研究所の竹田誠によれば、ウイルストロピズムの宿主プロテアーゼへの依存性については、センダイウイルス(SeV)研究者の本間らにより1970年代から研究されてきた。
トロピズムとは「親和性、向性」などの意味で、ウイルスの種類によって感染できる動物種、臓器、宿主細胞が決まっていることである。 トロピズムを規定しているものには、まず宿主細胞でのそのウイルスに結合可能な受容体があるかないかだ(レセプター依存的トロピズム)。 しかしこれ以外に、ウイルスの膜融合タンパクと、宿主細胞にある酵素との親和性が大きく影響している(プロテアーゼ依存的トロピズム)。

■■こうした原理の確立における日本人研究者の果たしてきた役割は大きいという。
本間らは1980年代には、ウイルスの活性とそのスパイク糖タンパクの「開裂」に強い相関があることを明らかにした。 そしてプロテアーゼによるS糖タンパク開裂活性化により、宿主細胞膜とウイルスエンベローブの融合が可能になることが結論付けられた。
永井らは、ニューカッスル病ウイルス(NDV)の強毒株と弱毒株の区別と、プロテアーゼによる開裂活性との間にも強い相関があり、 弱毒株のの開裂活性化にはトリプシンが必要なことを明らかにした。逆に強毒株ではウイルス増殖にトリプシンは不要であった。 またNDV強毒株は全身臓器で増殖するが、弱毒株は特定臓器でしか増殖しないことも明らかにされた。
この現象はA型インフルエンザウイルス(IAV)でも同様に観察された。 IAVのエンベローブ上のスパイク糖タンパクであるヘマグルチニン(HA)は、高病原性の鳥インフルエンザの場合、 トリプシン不在でも常に開裂活性化状態で、多段階増殖するのである。
HA遺伝子の解析により、Sタンパクの開裂活性には、開裂部の塩基性アミノ酸配列が単一もしくは不連続(mono-basic)であるか、 複数配列(multi-basic)であるかが影響していて、このことが病原性の強弱を決めていることが分かった。
その後フーリン(furin)などが、multi-basicモチーフを持つ膜融合糖タンパクの開裂活性を行う宿主プロテアーゼであることが判明した。 フーリンはゴルジ体などに普遍的に存在する酵素である。 このことから、multi-basicモチーフを持つウイルス強毒株が、全身臓器で増殖が可能となることが裏付けられた。
しかし、フーリンはmono-basicモチーフをもつウイルスの開裂能を持たない。 以降、複数のプロテアーゼがウイルスの開裂活性化に関与する酵素とされ、これら開裂活性を担う酵素の探求が続けられたが、強毒株でないIAVなどを活性化するヒト呼吸器上皮に発現しているはずのプロテアーゼは、長期にわたり未同定であった。

■■■2003年になり、Gartenらにより気道上皮に発現するⅡ型膜貫通型セリンプロテアーゼ2(TMPRSS2)がIAVスパイクを開裂活性する酵素であることが報告された。奇しくも人々を恐怖させたSARS-CoVが登場した同じ年のことである。 TMPRSS2の生体内でのウイルス増殖に関する役割を明らかにするため、TMPRSS2遺伝子を欠損させたノックアウトマウスでの実験が行われる。 TMPRSS2ノックアウトマウスでは、mono-basic-HAを持つIAVの開裂活性化や増殖は著しく制限されることが明らかになった。 ただ同じIAVでもH3亜型などは、mono-basic-HAを持つにもかかわらず、このTMPRSS2ノックアウトマウスでも増殖してしまう。 H3亜型では、糖鎖の有無やHAタンパクの立体構造上の問題が関与する、との研究もあるが、わかっていないことも多い。 ヒト宿主細胞の他の酵素や、体内細菌の分泌するプロテアーゼが関与しているとの報告もあるようだ。
⇒プロテアーゼ依存性ウイルス病原性発現とTMPRSS2 竹田誠,国立感染症研究所,2019
いずれにしろ呼吸器系ウイルスの細胞侵入の舞台では、プロテアーゼであるTMPRSS2が主役の座に躍り出てきた。

3. ウイルスの膜融合

■ところで、ウイルスが宿主細胞に対して侵入を果たすのと、宿主細胞内で増殖して出ていくのは、まったく別のプロセスと言わねばならない。
そしてSeVやIAVでは、TMPRSS2は宿主細胞内でウイルス粒子が形成される過程でSタンパク開裂を行う一方、侵入してくるウイルスの開裂活性を行うことができない。
ところが、SARSやMERSなどの重症呼吸器症候群コロナウイルスでは、TMPRSS2による開裂活性が観察されるものの、 膜融合Sタンパクの合成や輸送、つまりウイルス粒子形成時にTMPRSS2が利用されることはない。 ウイルスが受容体に結合し細胞へ侵入しようとする過程で、TMPRSS2によるSタンパクの開裂活性化が行われることが明らかにされた。

■■私には同一の宿主プロテアーゼであるTMPRSS2が、同じ呼吸器系ウイルスの中のウイルス種により、全く別のプロセスで働くというのが不思議でならないが、今日、このことはウイルス学の世界では常識となっている。
つまりこういうことだ。
IAVでもSARSでもウイルスが宿主細胞に侵入する際には、スパイクタンパクが受容体に結合してから膜融合する。
しかしIAVなどでは、増殖したウイルスが宿主細胞を飛び出して次の標的となる細胞に結合しようとするときには、このSタンパクは既に開裂しているのである。
一方、SARSなどのSタンパクは最初から開裂しているわけではなく、受容体結合「後」(侵入の瞬間に)にSタンパクの開裂が起こることで、膜融合を可能にしているのである。

■■■インフルエンザウイルス(IVA)はSARS-CoV同様スパイクを持つのに、宿主細胞への侵入時ではなく宿主細胞内でウイルス粒子の合成が行われた後で、Sタンパクの開裂を受ける。これにはどのような利点があるのだろう。これが依然として分からない。
それにIAVなどmono-basicモチーフのウイルスで、一番最初にヒトに感染するものは、どのように宿主細胞に侵入するのか(侵入してくるウイルスを開裂活性化できないのに)。それは、やはり一番最初のウイルスも「開裂済」なのだろう。 そして受容体結合後は、ほぼ全ての真核細胞に備わっているエンドソーム経路で侵入するのだ。エンドサイトーシスである。
インフルエンザウイルスの場合、スパイクタンパクであるHA(ヘマグルチニン)が、もう一つのスパイクであるノイラミニダーゼ(NA)の助けを借りながら宿主細胞の受容体に結合する(宿主細胞側の糖タンパク質のシアル酸残基が受容体となる)。 するとその部分が徐々に内側に陥没し、それを裏打ちするようにクラスリンタンパクが集まってきて取り囲む。 ついにウイルスは受容体に結合したまま、宿主細胞膜とクラスリンにより二重に取り囲まれた形の小胞を形成し、細胞質に取り込まれるのだ。 取り込まれた小胞は直ちにクラスリンを離脱させ、エンドソームに融合する。
以上がエンドサイトーシス機構だ。 一般に初期エンドソームはリソソームなど細胞質の様々な小胞を取り込みながら成熟過程を経てゴルジ体近傍などへ移動する。ただインフルエンザウイルスではコロナウイルス類と異なりマイナス鎖RNA型遺伝子なので、エンドソーム融合後に「遺伝子の脱穀」が行われ、遺伝子は核に到達する。

■■■■このように、ウイルス活性化を担うTMPRSS2など宿主酵素は、それが存在する臓器の細胞部位が限られている(プロテアーゼ局在)。 また、IAVやSeVなどと、コロナウイルス類ではプロテアーゼによる開裂活性化プロセスが大きく異なることもわかった。 そして膜タンパク開裂部位にmono-basic塩基性アミノ酸配列しかないIAVなど低病原性インフルエンザウイルスは、 局在する特定のプロテアーゼに依存的に開裂活性化され増殖する。 ウイルスは増殖可能な臓器の部位が限られる場合が一般的だ。開裂してくれるプロテアーゼがなければ増殖できないのだ。

4. SARS-CoVの膜融合

SARS-CoVも、エンドソーム内のカテプシンを用いた開裂活性化経路によって細胞侵入可能だ。 しかしTMPRSS2を用いた経路(Sタンパク開裂活性化による膜融合からの細胞侵入)がより優先的に利用されることがわかっている。 このことはエンドソーム内のカテプシンをインヒビターで阻害する実験で、SARS-CoVの細胞侵入に影響がないことからも明らかだ。 そして病原性発現にあたり、SARS-CoVにも宿主側のプロテアーゼへの依存性がある。 TMPRSS2はヒトの気道全域の上皮細胞に発現していて、呼吸器系ウイルスに幅広く使われているのだ。

■■宿主側プロテアーゼは、TMPRSS2のほか、トリプシン(膵液中)、エラスターゼ(好中球が放出)、カテプシン(エンドソーム内)などだ。 2003-SARS-CoVにはフーリン切断サイトが欠損しているため、ウイルス粒子合成時にはSタンパクは未開裂のままその表面にある。 そして宿主プロテアーゼにより開裂を起こして感染するのだ。
プロテアーゼのなかで、トリプシンとエラスターゼは、実験的にウイルス-細胞間の膜融合を誘導できることが確かめられている。 しかしカテプシンはこの膜融合を誘導できない(エンドソーム経路)。 そしてTMPRSS2は非常に効率よくSタンパク開裂活性を行い膜融合を誘導できる。

■■■このように新型ウイルスSARS-CoV-2は、2003-SARS-CoV同様、宿主細胞受容体(後述するACE2)を標的にSタンパクを結合させる。その後、やはり宿主細胞に局在するTMPRSS2によりSタンパクが開裂活性化する。SARS-CoV-2のSタンパクの開裂には、2003-SARS-CoVと異なりFurinも関与する。こうして、開裂によりSタンパクが変性することで膜融合が果されるのである。とりわけACE2とTMPRSS2は、SARS-CoV-2ウイルスの細胞侵入に必須のエレメントであることがもはや明白となった。

5. Sタンパクの2段階構造変化

■受容体結合後のSタンパクには、TMPRSS2などによりどのような構造変化が誘導されるのだろうか? SARS-CovのSタンパクは二段階の構造変化を誘導される。 国立感染研の松山州徳によれば、SARS-CoVのSタンパクは
 <第一段階>
  ①レセプターに結合すると安定した三量体を形成し、
  ②Fusion Peptido:FPを露出させ、
  ③FPが細胞膜に突き刺さる。
 <第二段階>
  ④続いてS2が宿主プロテアーゼによる開裂を受け、
  ⑤内部のへリックス構造を引き付けることにより、
  ⑥ウイルスと細胞の膜を引き寄せて融合させる。
という過程をたどる。
このメカニズムは、ウイルスにとって標的細胞で確実に膜融合できる、大変効率の良い仕組みだという。
(「プロテアーゼ依存的なコロナウイルス細胞侵入」松山州徳,国立感染症研究所,2011)
Sタンパクの二段階構造変化

■■SARS-CoV-2も、ほぼ同様のプロセスにより宿主細胞へ侵入を果たす。
ただ、上記④〜⑥の具体的イメージは、一般のわれわれにはなかなか描きにくい。松山による上記論文に、SARS-CoVとよく似たマウス肝炎ウイルス(MHV-2)の「Sタンパクの二段階構造変化」の図解がある。また少しさかのぼるが、鶴留雅人によるウイルス膜融合に関する研究があり、この時点では仮設とされているが、パラミクソウイルスのスパイク構造変化による膜融合誘導の図解がわかりやすいので合わせて参考にされたい。
(「ウイルスによる膜融合」鶴留雅人,三重大,2005)
ウイルスによる膜融合

SARS-CoV-2のSタンパクS2サブユニットには、HR1ドメインとHR2ドメインが存在する。 大まかに言えば、SタンパクのC末端コネクタドメイン(HR2側)がウイルスエンベローブにアンカーされたまま、FP:フージョンペプチド(HR1側)が細胞膜に突き刺さる。HR2ドメインが膜の外面に逆向きに移動することでそのままHR1ーHR2がヘアピン状に折れ曲がっていく。HR1ーHR2は逆向きの束(6-HB:6ヘリックスバンドル )を形成するのだ。これによりエンベローブ/細胞膜双方の膜の曲率が変化し接近した後、ついに膜融合が起こる。このようにトポロジカルに膜融合が完成すると、ウイルスエンベローブの内部と宿主細胞の細胞質も融合する。かくてウイルス遺伝子は細胞質に移動し感染が完了する。
武漢ウイルス研究所らはすでに本年3月には、X線結晶構造解析により、HR1ーHR2:6ヘリックスバンドル (6-HB)コアの構造を決定している。
スパイクのサブユニットS2の構造・・・
しかし、完了段階の6-HBが決定されても、中間工程が実際に上述の通り進行するのか、わかっていない部分も多いようだ。

6. SARS-CoV-2のSタンパクの特異性(SARS-CoVとの比較)

テキサス大学オースティン校チームは、SARS-CoVと、SARS-CoV-2のSタンパクには類似性があるが、SARS-CoV-2の方が、はるかに人の細胞に取り付きやすいと報告した。D. Wrappらは、SARS-CoV-2のSタンパクの構造を解き、3つの受容体結合ドメイン (RBD)のうちの1つが、受容体にアクセス可能な配座(コンフォメーション)で回転していることを示した。
Science http://doi.org/ D. Wrapp et al.;2020.02.19.
Sタンパクの2段階構造変化のプロセスは、(S1)が受容体に結合したときにトリガーされる。受容体結合は融合前三量体を不安定化させ、その結果(S1)が脱落し、(S2)が安定した融合後コンフォメーションに移行する。
Sタンパクの(S1)ユニットで、受容体結合ドメイン(RBD)は、受容体結合の決定因子を一時的に「隠したり」「露出したり」するヒンジのようなコンフォメーションの動きを受ける。これらの2つの状態は「DOWN」コンフォメーションと「UP」コンフォメーションと呼ばれ、「DOWN」は受容体にアクセスできない状態に対応し、「UP」は受容体にアクセスできる状態に対応するという。 スパイク三量体のうち1つのRBDは「UP」コンフォメーション、他の2つのRBDは「DOWN」コンフォメーションとなった。そしてSARS-CoV-2 Sタンパクのこの形状によって、宿主受容体との結合力が2003-SARS-CoVのそれよりもはるかに強固であることを確認した、ということだ。

■■ 一方アンダーセンらは、RBDタンパク質を構成する6つのアミノ酸残基のうち5つは、SARS-CoV-2とSARS-CoVの間で異なっていることを示した。この配列はACE2への高い親和性をもつとのことだが、計算解析によると必ずしも「最適な」配列ではないという。従ってACE2に対する自然淘汰の結果である可能性が高く、意図的な操作の産物ではないことを示す強い証拠だとも述べている。アメリカからの某国究機関による人為的ウイルス制作説への批判でもあろう。
Nature20200317

■■■グリコシル化

タンパク質は遺伝子でコードされているわけだが、生体タンパク質には糖鎖が結合していることが多い。遺伝子でコードされていない糖鎖が遺伝子でコードされているタンパク質を修飾して、その機能に多様性を持たせているのは不思議なことだが、これも生体内では頻繁に行われている。翻訳後修飾とよばれるタンパク質の成熟化機構だ。

S糖タンパクの発現と検証
CC BY 4.0 original

図のAは、Sタンパク質プロテオームを構成するタンパク質ドメインの配列を示す。 先述したように、Sタンパク遺伝子は、糖鎖付加のためのアミノ酸配列をエンコードしている。つまり遺伝子は糖鎖を翻訳するわけではないが、タンパク質のアミノ酸配列に糖鎖付加を誘導する暗号を忍ばせているのだ。
糖鎖付加(グリコシル化)は翻訳後修飾(PTM)の1種だが、メチル化やユビキチン化など他のPTMよりもはるかに多様性のあるプロテオームを形成するという。
渡辺・J.D.アレン・D.ラップらはSience;2020.05.04.で、スパイク糖蛋白の糖鎖を分析し構造決定を行っている。
上図Aのタンパク質配列の上下に付加された番号付きの分岐表記が糖鎖だ。
スパイク三量体のそれぞれには、22個の糖鎖が突き刺さっている(下図参照)。これら糖鎖がタンパク質のフォールディングと免疫回避に役立つことを示唆しているという。
N-結合グリカンのSタンパク上マッピング CC BY 4.0 original

7. フーリン(Furin)

フーリンは、ヒト細胞にはユビキタスなプロテアーゼ(タンパク質分解酵素)だ。
SARS-CoV-2は、エンベロープに存在するSタンパク質の宿主細胞膜受容体(ACE2)への結合を足がかりに、ヒトの細胞への侵入を開始する。 Sタンパク質は(S1)と(S2)に切断される。その後(S1)が受容体であるACE2受容体に結合する。もう一方の断片(S2)はヒト細胞表面のセリンプロテアーゼであるTMPRSS2で切断されて膜融合が進行する。
S1ーS2切断は、どの酵素が担うのか。 Sタンパク質のゲノム解析により、SARS-CoV-2と2003-SARS-CoVには異なる遺伝子配列のあることが明らかになった。特筆すべきはSARS-CoV-2のSタンパクにはフーリンによるS1-S2切断部位があることだ。このことにより、SタンパクのS1ーS2切断は、Furinにより行われることがわかった。フーリンは宿主細胞側に常駐する酵素だ。これによりSARS-CoV-2のSタンパクは開裂活性化され、感染力と病原性を高めていることが示唆された。
⇒H. Li et al. Preprint at http://chinaxiv.org/abs/202002.00062;2020
アンダーセンらも、SARS-CoV-2のSタンパク質S1ーS2接合部に、フーリンによる切断部位(RRAR)が存在することを明らかにした。この多塩基性の切断部位は、フーリンなどによる効果的な開裂を可能にし、ウイルスの感染性を高め、宿主細胞へのトロピズムの型を広げる役割を持っている。 さらに、"RRAR"の5'末端側にプロリン (P)が挿入され、開裂部位に4アミノ酸"PRRA" (12塩基)が挿入された配列になっている。このプロリンに誘導されるアミノ酸鎖のターンが、開裂サイトの左右側面に3つのO-結合型グリカンを付加するようだ。 多塩基性切断部位と3つの隣接する予測O結合型グリカンはどちらもSARS-CoV-2に固有であり、2003-SARS-CoVにはない塩基配列だ。このことも新型ウイルスの強い感染力を裏付ける、としている。
⇒Nature20200317 The proximal origin of SARS-CoV-2;Nature Medicine(17 March 2020)

8. TMPRSS2(Ⅱ型膜貫通性セリンプロテアーゼ2:transmembrane protease, serine 2)

SARS-CoVは細胞侵入にあたって、Sタンパクのプロテアーゼ(タンパク質分解酵素)によるプライミングを必要とする。 プロテアーゼは加水分解により、タンパク質のペプチド結合を切断する。
SタンパクはFurinにより(S1)と(S2)に切断された後、(S1)がACE2に結合するのだが、これだけでは膜融合は起こらない。もう一方の(S2)が開裂(第二段階)を受けなければならないのだ。この第二段階の開裂を担うのが、ヒト呼吸器上皮細胞などの表面に発現するセリンプロテアーゼの一種、TMPRSS2(Ⅱ型膜貫通型セリンプロテアーゼ2)である。S2サブユニットはTMPRSS2で切断され、その結果膜融合が進行する。
Hoffmannらにより、SARS-CoV-2の感染には、ACE2とTMPRSS2が気道細胞において必須であることが示された。
⇒SARS-CoV-2 Cell Entry Depends on ACE2 and TMPRSS230229-4.pdf)

■■TMPRSS2 は、II 型膜貫通型セリンプロテアーゼ(Type II transmembrane serine protease: TTSP)の同族である。
Ⅱ型なので、細胞外にC末端、細胞内にN末端を持つ膜タンパク質だ。
TMPRSS2は492のアミノ酸からなり、N 末端から細胞外に、SRCRドメイン(scavenger receptor cysteine-rich domain)、LDLAドメイン(low-density lipoprotein receptor class A) domain、プロテアーゼドメイン(Serine protease domain)を持つ。
TMPRSS2 は前駆体として合成された後、自身の酵素活性によって活性型となる(自己プロセシング)。開裂部のP3-P1 のアミノ酸配列は「QSR 」になっている。このアミノ酸配列QSRは、多くの呼吸器ウイルスの膜融合タンパクの開裂部に保存されていることが明らかになった 。
⇒プロテアーゼ依存性ウイルス病原性発現機構と TMPRSS2 2019 竹田誠 国立感染症研究所
ただ、《Atlas of Genetics and Cytogenetics in Oncology and Haematology》には、2010年3月のエントリーにTMPRSS2のドメインを詳しく示しているが、上記論文に示す構造とは異なり、N 末端からLDLR-A ⇒ SRCR ⇒ SPDの順としている。
⇒TMPRSS2 Youngwoo Park 2010.03

■■■前述のとおりSタンパクは受容体結合で構造変化を誘導されて初めてプロテアーゼによる開裂活性を受ける。細胞内で増殖し出芽していくウイルスSタンパクはTMPRSS2に切断されず、細胞に入ろうとするウイルスSタンパクが切断される。松山らの実験により、TMPRSS2の空間的方向性がそれらを決定することがわかっている(ウイルスではなく2種類の実験細胞を準備し《一方にSタンパク、他方にACE2を発現させ》、TMPRSS2がどちら側にある時に開裂活性を示すかを確かめている。Sタンパクと相対するレセプター側にTMPRSS2が発現した場合のみ、膜融合が誘導された)。TMPRSS2はウイルスにとって確実に細胞侵入を果たせ、細胞でつくられたウイルスには作用しない、使い勝手の良いプロテアーゼであるということだ。
東大医科学研から本年3月にプレスリリースされた、新型ウイルス侵入プロセスの阻止を強く期待できる既存候補薬「ナファモスタット」も、このTMPRSS2を標的として阻害するものだ。このリリースの冒頭に掲載された、SARS-CoV-2の細胞侵入プロセスを示した図版は大変わかりやすいので、是非参照されたい。
⇒新型コロナウイルス感染初期のウイルス侵入過程を阻止、効率的感染阻害の可能性がある薬剤を同定 井上純一郎ほか 東京大学医科学研究所 2020.03

9. 受容体 ーh-ACE2ー

■ウイルス感染において宿主細胞受容体との相互作用が重要なステップである。細胞侵入に際しウイルスの結合サイトを活性化させる酵素が異なるように、ウイルス種によって結合できる受容体もまた異なるのである。 現在のところ7種が知られるヒトコロナウイルスのうち、MERS-CoVはジペプチジルペプチダーゼ-4受容体(DPP4)と選択的に結合することがわかっている。HCoV-229EウイルスはアミノペプチダーゼN受容体(APN)を標的にしている。HCoV-HKU1およびHCoV-OC43はO-アセチル化シアル酸(O-ac Sia)に結合する。 そしてHCoV-NL63、SARS-CoV、および新型ウイルスであるSARS-CoV-2の3つはみな、ヒトアンジオテンシン変換酵素2受容体(h-ACE2)を利用する。

■■新型ウイルスSARS-CoV-2は、ウイルスの持つ「鍵」であるSタンパクが、宿主細胞側の「鍵穴」の役割を果たすACE2受容体と結合することでヒト呼吸上皮細胞に感染する。 そしてACE2は、ヒト気管支の線毛上皮細胞やII型肺胞上皮細胞に高発現している。 宿主細胞受容体ACE2(アンギオテンシン変換酵素2)とは、どのようなものなのか。

■■■ACE2のサイズ感としては、計算分子量92kDaであるという(N‐グリコシル化のため120kDaに検出される場合あり)。 ウイルス自体のサイズが100〜200nm、またSタンパクの長さ約20nm(分子量180〜200kDa)であり、結合する側からすれば比較的小さく見えるだろう。
ACE2はその名の通り、ACEの同族体だが、役割はそれぞれ異なっている。 そもそも、血圧調節等の循環動態に大きな役割を持つと言われるアンギオテンシンとはなにか。
アンギオテンシンは、肝臓の作り出すタンパク質;アンギオテンシノーゲンを、腎臓が分泌するレニンが分解して作り出される(AngiotensinⅠ:Ang1)。レニンは血液量の減少などに伴い産生される酵素だ。この(Ang1)のC末端2アミノ酸を、肺に存在するアンギオテンシン変換酵素(ACE)が切断することで、アンギオテンシンⅡ(Ang2)が生じる。Ang2がアンギオテンシン受容体:ATRに結合することで血圧が調節される仕組みだ。ATRGタンパク質共役受容体(GPCR)であり、血圧を上げる1型受容体(AT1R)、及び血圧を下げる2型受容体(AT2R)の2種類があり、協調して(どちらに結合するかで)血圧を調節しているのだ。Ang2はつまりこの協調を制御している生理活性ペプチドだと言える。これら血圧調整に重要な役割を担うレニン−アンギオテンシン系をRAS(renin-angiotensin system)と呼んでいる。アルドステロンも含めRAA系と呼ばれることもあるようだ。
生活習慣病の一つの高血圧症の治療では、当然にこのRAS系の働きを抑えたい。Ang2-AT1R結合を阻害するATR拮抗薬(ARB)、Ang2合成を阻害するACE阻害薬(ACEI:ACEインヒビター)などが、高血圧症治療の分子標的薬として今日普及している。
一方のACE2は、Ang1のC末端から1アミノ酸を切断してAng(1-9)を生成する。あるいはAng2からAng(1-7)を生成する。ACE2により生ずるAng(1-7)は、やはりGタンパク質共役受容体GPRCである「Mas受容体」と結合する。
田野中浩一らによれば、Mas受容体はAT1Rと会合することで、Ang2の作用を減衰させるとの報告がある。さらにAng(1-7)はAT1Rの作用を抑制する方向に働く可能性も示唆された。
Ang2は循環器疾患の憎悪因子であることが知られている。ACE2/Ang(1-7)/Mas-Receptor系は、ACE/Ang2/AT1R系を介する生理活性を抑制、あるいは拮抗する形で機能すると考えられるという。
⇒アンジオテンシン変換酵素2 日本薬理学会 田野中浩一ほか 2016

■■■■ACE2はSARS-CoV-2の細胞侵入のための必須受容体である。 一方で、循環器系にとっては血圧調整面でRAA系に対する抑制を担うなど、ACE2は生体にとってむしろ良い方向で働く酵素でもあった。 皮肉にもSARS感染によりACE2の発現は抑制されるため、RAA系を活性化させてしまい、呼吸器障害を促進させることにつながると考えられている。
SARS-CoV-2のSタンパクが、ACE2結合のための重要なアミノ酸残基を保有していることが明らかになった。この極性アミノ酸残基を介して、SARS-CoV-2はACE2の細胞外ペプチド・ドメインにより認識されるようだ。 そしてSARS-CoV-2のSタンパクのACE2への結合力は,SARS-CoVの少なくとも10倍以上であることが、すでに定量的に明らかにされている。
⇒274 Cell 181, 271-280, 2020年4月16日30262-2.pdf)

■■■■■ACE2は肺のほか、心臓、腎臓、腸、血管など人体の広範囲に発現している。 持病や喫煙などがACE2の数や働きを変化させるという報告がある。 新型ウイルスの感染者に急性腎不全が起こりやすいとも言われ、腎臓に多く発現するACE2との関連が疑われている。 血管にも低濃度ながらACE2が発現することから、腎臓や血管のACE2に新型ウイルスが直接結合し、免疫反応により腎不全や血栓が引き起こされる可能性にも言及されている。 ニコチンに関しても、気道上皮細胞のACE2を増やすとの実験報告もある。 一方、糖尿病や高血圧などの治療薬であるACE阻害薬が、ACE2を増加を誘引する可能性も指摘されている。 ただ、糖尿病患者などはそもそも基礎体力が落ちるなどの影響や、喫煙では気道上皮の粘膜が傷害されることもあり、上記の事象はそのまま因果関係のエビデンスとはならない。

4.ウイルス増殖及び出芽機構

ウイルス分類
CC BY https://www.flickr.com/photos/niaid/49531042877 NIAID

培養されたヒト細胞から放出されているSARS-CoV2ビリオン

1. 増殖と出芽の概要

SARS-CoV-2はヒトの細胞に感染すると、遺伝子RNAから自己複製のために必要なさまざまなタンパク質を翻訳する。 合成されるタンパク質には、2種類の巨大なポリタンパク質(polyprotein:分子量486kDaおよび790kDa)が含まれている。 ポリプロテインは長い1本のポリペプチド鎖(アミノ酸がペプチド結合でつながったもの)で、この中には、a) さらなるRNAをつくる複製/転写複合体、b) 新たなウイルス粒子を構築する構造タンパク質、そしてc) 2つのプロテアーゼ(ペプチド結合加水分解酵素)がある。 ウイルス自身の持つこの2つのプロテアーゼが、ポリプロテインからこれらすべての機能断片を切り出すのだ。 感染後は、宿主細胞の翻訳装置全体がウイルスタンパク質の生産システムへと転換されてしまう。 こうしてウイルスは複製され、多段階増殖するのだが、この際には、宿主タンパク質であるRNA結合タンパク質・シャペロン・膜再構築タンパク質・脂質合成タンパク質等をも用いてしまう。 さらに出芽に際しては、宿主細胞のタンパク質分泌経路とエネルギーもまた、ウイルス複製のために利用される。 ウイルスはわずか数時間で、1個の細胞に数万個の新しいウイルス粒子(ビリオン)を形成させることができると言われ、その新しいビリオンが、次の健康な細胞に向けて解き放たれる。

2. ウイルスメインプロテアーゼ

SARS-CoVの場合、ゲノムRNAが宿主細胞の細胞質に放出されると、メインプロテアーゼ(Mainprotease、または3C-like protease)と、パパイン様プロテアーゼ(PLpro)の2つのプロテアーゼによって、2つの長く重複するポリタンパク質、(pp1a)と(pp1ab)に翻訳される。 これらのプロテアーゼの加水分解活性は,ウイルス複製のためのレプリカーゼ複合体の形成に不可欠な複数の機能性タンパク質を生成する。

ウイルスゲノムが翻訳する長い1本のポリペプチド鎖には2つのタンパク質分解酵素が含まれる。プロテアーゼはペプチド結合(-NH-CO-)の切断を通じて、さまざまなタンパク質のN末端やC末端を正しく形成する重要な働きをする。

「今月の分子(2020.2)」には、D.S.Goodsellらによる、SRAS-CoV-2のメインプロテアーゼの構造図が示されている。

⇒今月の分子 Coronavirus Proteases David.D.Goodsell 2020.02.

これによれば、SARS-CoV-2のメインプロテアーゼは、同じサブユニットが2つ集まり2つの活性部位をつくっている二量体だ。ハートのかたちをしている。 トリプシンに近い構造といい、アミノ酸システインとその近傍のヒスチジンがタンパク質切断反応を行い、別のドメインがこの二量体を安定化させているという。

■■横山茂之らによれば、SARS-CoVはそのメインプロテアーゼが特殊な基質認識能を持っているという。
ポリプロテインの切断反応に関与するメインプロテアーゼは「3CLプロテアーゼ」と呼ばれる。3CLプロテアーゼはポリタンパク質の一部のため、自己の持つ酵素活性により切り出されることで成熟型となり、活性化される。この作用を「自己プロセシング」と呼ぶ。 「3CLプロテアーゼ」はライノウイルス3Cプロテアーゼとの類似性から3CL(3C like)プロテアーゼと命名された。 ヒトライノウイルスプロテアーゼ(HRV3C:human rhinovirus 3C Proteases)は、特定の配列を認識して切断するシステインプロテアーゼの一種だ。
横山らの研究によれば、「3CLプロテアーゼのC末端側の自己プロセシングにおける特殊な認識様式と認識配列は、自己プロセシングの効率を低下させず、生成される成熟型3CLプロテアーゼのC末端領域の自己阻害活性を抑制するものだ」という。

SARSウイルスの巧みな戦略―プロテアーゼの特殊な基質認識理化学研究所 横山 茂之ほか 2016

要するに、SARS-CoVのメインプロテアーゼは、自己プロセシングにおいても成熟型3CLプロテアーゼの活性化を効率よく図っているのだ。言い換えれば、SARS-CoVはそのようなアミノ酸配列(=ゲノム)を持ったということだ。この自己プロセシング能を、SARS-CoV-2も獲得していると思われる(ただし筆者にはその検証はできていない)。

3. 暗黒期のふるまい

ウイルスは、細菌などの細胞生物のように分裂して増えていくわけではない。ウイルスが細胞に感染(侵入)すると、ウイルスの構成要素は一般にはバラバラになり、ゲノムによるウイルス構成タンパク質の翻訳や、ゲノム自体の複製を経て、子孫ウイルスのすべての構成要素が揃うと集合し、新たなウイルス粒子(ビリオン)となって宿主細胞を出ていく。この間、宿主細胞内ではウイルスは検出されなくなる。この期間を暗黒期と呼んでいる(下記、②〜⑥)。

SARS-CoV-2の侵入から増殖までのステップは、以下のように想定されている。
 ①スパイクタンパクとヒト細胞受容体ACE2との結合を介して膜融合
 ②ゲノムRNAをヒト細胞質内へ放出
 ③プラス鎖ゲノムRNAから相補性のマイナス鎖RNAを複製
 ④マイナス鎖RNAから数本のサブゲノムRNAsがmRNAへと転写
 ⑤サブゲノムがそれぞれスパイクなどのウイルス構成タンパク質を翻訳
 ⑥並行してマイナス鎖ゲノムRNAから、”子孫用”プラス鎖ゲノムRNAの複製も進行
 ⑦一連のタンパク質とプラス鎖ゲノムRNAが集合し、子孫ウイルス粒子が形成
 ⑧宿主細胞から放出(出芽)

一本鎖+鎖RNAウイルス((+)ssRNAウイルス)は、ゲノムとメセンジャーRNA(mRNA)の両方として働く遺伝物質を持ち、宿主細胞中で宿主リボソームを用い、直接タンパク質に翻訳される。 (+)ssRNAウイルスのゲノムRNAは、細胞質内でRNAテンプレートとして機能し、RNA依存性RNAポリメラーゼ(RdRp)をコードしている。RdRpの作用によりゲノムRNA相補鎖に複製される。RNA合成は、3'末端へヌクレオシド三リン酸が付加されることで始まり、ヌクレオチジル転移反応を繰り返すことにより相補鎖が伸長していく。
ウイルスタンパクの翻訳は一般に各mRNAの ‘5 末端に存在するオープンリーディングフレーム (ORF) からのみ翻訳される。 ゲノムRNA (mRNA-1) の ‘5 末端約 20kb は、2つのORFからなり、1a と 1b で 802kDa をコードしている。このORF間にはシュードノット (pseudoknot:Pn) と呼ばれる核酸の三次構造が存在する。
(1a)タンパクだけで翻訳が終止する場合と、Pn により 1a + 1b 融合タンパクが合成されるケースがある(1ab)。 (1ab)タンパクは16個の調節タンパクに解裂され、プロテアーゼ(ペプチド結合加水分解酵素)及びRNAポリメラーゼとして働く。 感染後に最初に発現するタンパク質はゲノム複製に関わり、細胞内膜と合わさって(+)ssRNAウイルスゲノムからウイルス複製複合体(VRC)を形成する。VRCはウイルス由来と宿主由来の両方のタンパク質を含み、ミトコンドリア・液胞・ゴルジ体・ペルオキシソーム、また細胞膜やオートファゴソーム等に由来する様々な細胞小器官の膜と結合している。 (+)ssRNAゲノムの複製は二本鎖RNA中間体を介して進行し、多くの場合、複製の際にサブゲノムmRNAも作られる。 リボソームはウイルスゲノムの配列内リボソーム進入部位(IRES)と非常に高い親和性で結合するため、感染後、宿主細胞の翻訳装置全体がウイルスタンパク質の生産へ転換される。

4. 集合と出芽

新たに合成されたウイルス構成タンパク質やゲノムRNAは、宿主細胞膜の内側付近で会合し(アセンブリ)、ウイルスの組み立てが始まる。
細胞膜付近では、宿主細胞の膜タンパク質が排除され、ウイルスEタンパクやMタンパク、Nタンパクが集積していくものと思われる。 これらの集合体は細胞膜から出芽するような形で成長していき、エンベローブで覆われたウイルス粒子となって、細胞外へ放出される。

5.免疫系とウイルスの防御機構

さて、ウイルスを迎え撃つのは免疫系だ。こちらはヒトではB細胞とT細胞が主役となる。
B細胞やT細胞は「リンパ球」とよばれる免疫細胞で、白血球のひとつだ。
■白血球は、造血幹細胞という骨髄にある幹細胞からつくられている。 白血球とは、よく知られているとおり生体防御に関わる免疫担当細胞の総称であり、体内に侵入した細菌・ウイルスなど異物の排除や腫瘍細胞の排除などを役割としている。 白血球はリンパ球を含め以下の3種類からなっており、それぞれに役割がある。

 ① 顆粒球(好中球・好塩基球・好酸球)・・・白血球全体の6〜7割、感染箇所への遊走による細菌など異物の直接捕食・殺菌を担当
 ② 単球(マクロファージ・樹状細胞など)・・・白血球全体の5%程度、抗原提示やサイトカイン放出などを担当
 ③ リンパ球(T細胞・B細胞・NK細胞)・・・白血球全体の3割程度、抗体産生やウイルス感染細胞の攻撃などを担当
 ※顆粒球の3種類をひとくくりにせず、「白血球は5種類」とする分類が一般的だが、ここでは上記のように整理した。

ヒトの免疫系は、大雑把に言えば2段階で働く仕組みになっている。
・第一段階は「自然免疫系」と呼ばれるもので、上記の①②の免疫細胞が担当する。
・第二段階が「獲得免疫系」と呼ばれるもので、上記③の免疫細胞が担当する。

リンパ球は、末梢血の白血球のうち20〜40%ほどを占める、比較的小さく(6〜15µm)、抗体(免疫グロブリン)などを使ってあらゆる異物に対して攻撃するが、特にウイルスなどの小さな異物や腫瘍細胞に対しては、顆粒球ではなくリンパ球が中心となって対応する。 体液性免疫、抗体産生に携わるのはB細胞とそれをサポートするヘルパーT細胞だ。一方腫瘍細胞やウイルス感染細胞の破壊など、細胞性免疫に携わるのはキラーT細胞やNK細胞である。 リンパ球は骨髄で未熟な状態で産出された後、胸腺(T細胞)や骨髄など(B細胞)で成熟し、さらにはリンパ節に移動し、そこでも増生・成熟が行われるなど、複雑な経過をたどる。

■■SARS-CoV-2のRNAの一部には、宿主細胞に留まるタンパク質も遺伝情報としてコードされている。これらの中には、宿主細胞が攻撃を受けているという信号を免疫系に送信しないようにしたり、宿主細胞の先天性免疫に抵抗するのを助けたりするものが含まれるという。 ヒト免疫システムは、どのようにしてSARS-CoV-2と戦うのだろう。
白血球がウイルスを追跡して感染細胞やウイルスを取り込んで破壊したり、ビリオンを破壊する抗体を産生したりする。抗体産生はその典型だ。 上記の区分で言えば、自然免疫系の樹状細胞などがウイルスを貪食して、その断片タンパク質を免疫細胞表面に露出させ(抗原提示)、その情報を獲得免疫系に伝達することで、免疫グロブリン抗体を産生したり、キラーT細胞を活性化させたりする。

■■■しかし、人によって免疫システムの反応は異なる。インフルエンザと同じように、新型コロナウイルス感染症でも、呼吸器疾患の病歴のない人は軽度の症状だけで済むことが多いが、症状が重くなると予想された人でも軽症で済んだ例や、若くて健康な人でも重度感染症を起こした例も多数ある。呼吸器系の上気道までの感染で済めば比較的軽症で住むのかもしれない。下気道までの感染が広がると、両肺が大きな損傷を受けて呼吸困難など深刻な状態に陥る可能性が高くなる。
こうした一連の状況は、ウイルスと免疫システムの間の、いわば競争だ。最初に感染したウイルス量が少なければ、ウイルスが増殖して制御不能になる前に免疫システムがウイルスによる感染症を克服できる可能性が高いだろう。だが一度重症化したケースでは、免疫システムによる抑え込みが追いつかなくなる。
さらにやっかいなことがある。免疫システムはウイルスの増殖阻止のための情報伝達タンパク質サイトカインを分泌する。サイトカインの過剰産生はサイトカインストームと呼ばれており、これが致命的な過剰炎症反応を引き起こすことがある。免疫システムの暴走だ。 サイトカインは他のサイトカインのさらなる発現を促進(あるいは抑止の場合も)の機能をもつため、サイトカインカスケード(連鎖的反応)を起こす場合があるのだ。
また免疫システムが、SARS-CoV-2の細胞侵入を助け、ウイルス増殖に関与する可能性可能性も指摘されている。 SARS-CoV-2の細胞侵入過程では、タンパク質分解酵素であるエラスターゼもトリプシンやTMPRSS2同様に膜融合を誘導できることが確認されている。エラスターゼは炎症組織で好中球が大量に放出するプロテアーゼであり、重症肺炎時には免疫細胞が作るエラスターゼを利用して細胞に侵入する可能性があるのだ。
このように、我々の体に備わる精緻な免疫系も、必ずしも万全ではないのである。

7.まとめとして

このスタディでは、以下のことが理解されたと思う。

1)今回の新型コロナウイルスSARS-Cov-2の位置づけや基本構成、また(+)ssRNA型ウイルスとはどのような仕組みを持つのかなど、全般にわたっての基本的な特性が整理され理解された。

2)SARS-CoV-2が、2003-SARS-Covや他のスパイクウイルスに比べ、どのような構造上の特異性があるのかが理解された。
ゲノム全体で見れば、2003-SARS-Covとの相同性は9割近くと、とても近い姉妹種でありながら、ディテールを見れば例えば、Sタンパクの構造で三量体S1ドメインのRBDのコンフォメーション、またRBDタンパク質を構成するアミノ酸残基に違いがあった。これだけの差であっても、宿主細胞への結合性が大きく高められ、結果として2003-SARS-CoVに比しての強毒性を獲得している。フーリン結合サイトの有無という重大な違いも明らかとなった。

3)SARS-CoV-2の細胞侵入のメカニズムが理解された。
SARS-CoV-2及び2003-SARS-CoVは、そのスパイクタンパクがヒトACE2受容体に結合の後に2段階変化を誘導され、宿主細胞に局在するプロテアーゼにより開裂活性化をうけることで初めて細胞侵入できる。このときにSタンパクが具体的にどのような構造変化によって膜融合を実現するのか、またSタンパク構造変化の1段階目はフーリンが、2段階目はTMPRSS2が担っていることもわかった。さらにはSタンパクの開裂がインフルエンザウイルスとは全く異なるタイミングで行われていることも理解できた。

4)細胞侵入後のSARS-CoV-2の増殖と出芽に関する基本的事項を整理できた。 特に、ウイルスメインプロテアーゼが子孫ウイルスの構成に重要な役割を演じており、他のコロナウイルスと比較して巧妙に自己プロセシングの仕組みを獲得してきたこともわかった。

5)SARS-CoV-2と、ヒト免疫系の競合を整理した。
ヒト免疫系は、ウイルス侵入に対して抗体産生するが、個体差により重篤化するケースがある。免疫系も万全ではなく、どのような要素が重症化につながるかなどの展望を試みた。

それにしても、ここまで長い道のりだった。
GW後半の3日ほどと、それ以降の土・日が3週分の、延べ10日以上も本稿に費やしてしまった。 本稿においてウイルスの様々な態様を理解し、整理したと言っても、このスタディはあくまでも概要に過ぎない。本当の具体的・根源的原理にまでは及んでいないのは言うまでもないことである。 このウイルスに関して、多くの研究者が数ヶ月で数千本の論文を書いても、まだまだわからないことが多いのだ。生命科学の世界は深遠だ。 Sタンパクの開裂活性と言っても、実際のプロセス上どのタイミングで開裂の信号を受け渡すのか、ACE2受容体へのSタンパクの結合力が格段に強いと言っても、その強さを担保する分子間の距離とかアミノ酸や各原子の位置取りだとか、それらの間に働く引力の大きさとか、そういった生化学の分野までは、筆者の力では到底踏み込めない。
しかしそれでも、知り得たことも多々あった。

つい我々は、ウイルスの「細胞侵入のための巧みな戦略」とか「免疫系を逃れる巧妙な変異を獲得した」などと、「彼ら」のことを擬人化して表現する。しかし彼らは戦略など持ち合わせていない。そこにはただ、物理現象があるのみだ。そもそもウイルスは生物ですらない。「生命と無生命の間の中間的粒子」というのが、今日の生命科学の代表的なスタンスだ。 このとてつもなく小さな粒子が、アナザーワールドをつくりだした。 生命ではなくとも、新たな変化に向けて彼らは挑戦する。科学者、そして人類も挑戦する。

しばらくは、この厄介なウイルスと人類は付き合っていかなくてはならないようだ。 今後の課題としてもう少し、ウイルス増殖機構や重症化プロセスに関して補足を試みたいと思う。

コロナの稿、了。 2020.05.31.

桜について

願わくば 花の下にて 春死なむ

       その如月の 望月の頃

■4月
桜の季節がうつろってゆく。
昨年(2019年)の今頃まで、わたしは福岡市に住んでいた。 駅で言えば、中心部の「天神」の一つ西隣が「赤坂」、ついで「大濠公園」、 そして住まいのあった「西新」となるのだが、 この赤坂駅から大濠公園駅にかけては、地下鉄路線の上を通る「明治通り」の南側に、 かつての黒田藩藩主、黒田長政の手になる福岡城址とそれに連なる大濠公園があって、 都心のど真ん中に、広大な水と緑の空間を提供している。
福岡城は地元では「舞鶴城」と呼ばれることが多い。 そして桜の名所でもある。 職場の近いこともあり、舞鶴城址での花見の酒宴も催されたが、 どちらかと言うと仕事帰りに(午後10時ぐらいから)、ゆっくりと一人で夜桜を見て回ることが多かった。 そのまま、かすかな花の香りに身を任せて、家までそぞろ歩くこともある。
東京に戻った今となっては、懐かしいことだ。

花見には人それぞれに流儀があって良い。
私の場合、
 一、一人で見ること

次に
 二、夜に見ること

そしてなんと言っても、
 三、一人見る夜桜はソメイヨシノに尽きること

だ。

語弊があってはいけない。
ソメイヨシノ以外見てはならぬ、ということではない。

桜といって、私が思いうかべる桜のひとつには、故郷の桜もある。
故郷の東北の野山を歩けば、時折ハッとするほど美しい山桜に出会うことがある。
東北の春は遅く、緑の芽吹きとともに桜も咲くのだ。
山桜はソメイヨシノよりも遅咲きの桜ということもある。
緑の中に埋もれるように咲く濃いピンクの山桜花。
まことに美しいと言うほかはない。
この情景は胸に刻まれている。

それでも、贔屓の桜は数々あれど、 桜といえば誰がなんと言おうと、ソメイヨシノに勝るものも無いと思うのだ。
春、まだ葉もつけぬうちに咲き、葉も開かぬうちに散るソメイヨシノに、 強い思い入れのあるのは、私だけではあるまい。
なぜだろうか・・

■■モノクローナルの悲しみ
ソメイヨシノは、エドヒガンとオオシマザクラが交雑してできた単一の樹を始祖とするクローンであることが近年明らかにされた。
この単一クローンソメイヨシノは、江戸時代後期にはすでに開発されていたというから驚く。
モノクローナルであるかぎり、一般にソメイヨシノ同士での交配では種子ができない。
永きにわたり、接ぎ木や挿し木で増やされてきたのだ。
後に、戦後から高度成長期にかけて全国で多く植えられた。
ソメイヨシノはクローンであるため、全ての株が同一に近い特性を持っている。
病気や環境の変化に負ける場合には、多くの株が一斉に影響を受け、 同じ時期に植えられた株なら、樹勢の衰えを迎えるのも同時期、と考えられている。 このため2005年度以降には、苗木の配布や販売が中止されてしまった。
ソメイヨシノの代替品種とされたのが「ジンダイアケボノ」だ。
花や開花時期がソメイヨシノと類似している上に、 ソメイヨシノが罹りやすい「てんぐ巣病」にも強いということで、植え替えを推奨されている。
ジンダイアケボノとはどのような品種なのか?
日本からアメリカへ送られたソメイヨシノと、別品種の桜が交雑した「アケボノ」という桜が、 今度はアメリカから日本へ逆輸入される。 この桜を神代植物公園で接ぎ木して育てるうち、そのうちの1本が「アケボノ」とは異なる特徴の花を咲かせているのが見つかる。 この桜こそが「ジンダイアケボノ」だという。
ジンダイアケボノは、遺伝学的には母親がソメイヨシノだが、父親である桜の品種がわかっていないらしい。 ソメイヨシノとは別の日本の桜だという説が有力といわれている。
いずれにしろこのまま時代が進めば、日本を代表する桜のソメイヨシノの時代が終わり、ジンダイアケボノの時代になるという。

しかしだ。
ジンダイアケボノとソメイヨシノでは、あきらかに花の雰囲気が異なる。
ジンダイアケボノは、花の赤味が濃いのだ。
ソメイヨシノの花は、咲き始めには花床と呼ばれる花びらや雌しべの付け根の部分がやや濃いピンク色に染まるのだが、 間もなくそれはうすい緑色となり、花の白さをより白く見せることになる。
花びらは、ほんのかすかな紅色だ。
改めて観察すればわかることだが、我々が思い浮かべるよりも、ソメイヨシノの花は白い。 桜の全体像を捉えて、かすかな桜色を感じることができる。
この繊細な白さにこそ、人は桜の美しさを感じとるのではないか。

■■■夜桜
よく晴れた日に、青空のもと楽しむ桜もあるだろうが、 私であればむしろ曇り日の桜に風情を感じる。
そしてやはり夜桜。
桜を愛でるなら、やはり夜桜をおいてほかにない。
私も舞鶴城の桜を夜にめぐった。
この時期に、福岡では桜まつりと称して桜をライトアップする。
それも様々なカクテル光線で桜を塗り照らしている。その浅はかさよ。
こんな無残な桜もあるまいと思う。
夜桜は月明かりと星明りで愛でるもの。 100歩譲って、水銀灯の青白い光でながめるものだ。
だから、ライトアップが終わる夜9時以降に、私はたびたび城跡を彷徨した。
暗闇の中、爛漫の桜花は音もなく咲いている。
ふと低い枝の花に顔を近づけるが、かすかな、ほんのかすかな香りよりしない。

時間も遅くなり、肌寒さもいや増すなか、花見客もいなくなった城址で一人、 咲きほこる花々を下から飽くこともなく眺めている。
するとそうした風景が、ふいにゆがみだすような刹那がある。
桜全体が一つの生き物の塊のようにも見え、めまいを覚える。
風に乗って、遠くの酒宴の声がかすかに聞こえてくる。
その音までも、なにか遠い昔の大工や左官の酒盛りの、禍々しい笑い声にも聞こえる。
そしてその笑い声らは、黒黒とした桜の幹の根元から聞こえるようになる。
確かに土の下から湧き上がって響いている。

■■■■恐ろしの桜
音もなく爛漫と咲く桜に包まれたとき、私は桜の美しさと等量以上に、 背筋になにかあてがわれたような恐ろしさを感じることがある。
それは何も城址の桜だけでなく、市井の桜にあっても感じられることだ。
なぜだろう。

唐突かもしれないが、かの『平家物語』の有名な冒頭部分は次のように始まっている。

 祗園精舎の鐘の声、
  諸行無常の響きあり。
 娑羅双樹の花の色、
  盛者必衰の理をあらはす。
 おごれる人も久しからず、
  唯春の夜の夢のごとし。
 たけき者も遂にはほろびぬ、
  ひとへに風の前の塵に同じ。

口語訳は次のとおりだ。

 祇園精舎の鐘の音には、この世のすべては絶えず入れ替わってゆくという、無常の響きがある。
 沙羅双樹の花の色は、どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。
 いかに権勢を振るうことのできる者も、その栄えは、ながくは続かぬ春の夜の夢のようなものにすぎない。
 結局は滅び去ってしまうのは、風に散る塵と同じようなものだ。

頭上を覆い尽くす桜花に、たびたび平家物語のこの書き出しが私には聞こえてくる。
桜の黒々とした幹の根元の土には、たくさんのいにしえ人がいる。
その者どもの笑い声が、湧き上がるように聞こえてくる。
元は白い桜花がかすかな紅色なのも、者どもの血の色なのだろう。
かくも桜は恐ろしいのだ。

■■■■■歌の桜、一
城址の桜となればもう一つ、『荒城の月』を思い浮かべる。

 春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして
  千代の松が枝わけいでし むかしの光いまいずこ

                   作詞:土井晩翠
                   作曲:滝廉太郎
                   編曲:山田耕筰

滝の作曲が1901年というから、日露戦争前夜、今から120年ほども前になる。 西洋音楽の曲想を取り入れた、悠久無常を詠う名曲とされている。
滝は故郷の大分県竹田市の岡城址に曲想を得たという。
ドイツ留学するも結核に冒され、23歳の若さで没する。
一方の土井晩翠も、やはり故郷仙台の青葉城をバックボーンとしてこの詩を構想したという。

晩翠の歌詞には、桜を想起させるキーワードが含まれていると私は思う。
まず「荒城」。荒れ果てた城とは無論、栄華を思うままにした一族の滅亡を思わせる。
そして「花の宴」の花は、春高楼の・・とあるので、まさに「城址の桜」であり、宴の催される夜の夜桜に違いないのだ。
「千代の松」とは永い年月を刻む松であり、その松ケ枝を分けて「むかしの光」を探そうとする。
だが荒城にかつての栄華の痕跡は無い。
栄枯盛衰を永い間ながめてきた「千代の松」だけが、その無常を知っている。
そして今は、桜がこの高楼に静かに咲き誇るのみである。
高楼はおそらくは櫓のようなものかと思うが、後の建物であろうと推察する。
なぜなら「今いずこ」と謳われているからだ。荒れ果てる前からの建物が残っているはずがないから。
以上が、<歌詞第一番>だ。

「むかしの光」は、刀の光でもある。
なぜなら、歌詞第二番に「植うるつるぎに照りそいし」とあるからだ。
荒城の桜の下に、一本の日本刀が突き刺さっている。
「照りそう」のはもちろん月光であり、月光の下の花の宴でもある。
月が煌々と照るなか、刀の鍔が強いコントラストで刃に影を差している。
その緊張感が極めて写実的に描かれている。
刀は、武士の携えるもの。
武士は常に、死と隣り合わせだ。
音もなく散ってゆく桜に、つわものどもの諦観を重ね合わせる。
世の中に美しい花は数あれど、それは皆、この世の花。
さくらは、あの世の花。
私が桜に恐れを感じずにはいられない理由はここにある。

■■■■■歌の桜、二
桜は若木のうちは立ち姿もまっすぐで、樹皮も明灰色でつやがあるが、
古木となるほど幹は折れ曲がり、樹皮も大いに黒黒として襞増してゆく。
長い人生を歩んできた古老の人となるのだ。
そうして朽ちて、いずれは土にかえってゆく。
ソメイヨシノもまた、滅びる運命にある。
このような無常観を、我々日本人は共有している。

かつて人々は、常に死と隣り合わせにいた。
戦乱、疫病、飢え・・。
武士でなくとも死は身近だった。
仏の教え以前に、常なるものは無いのだということを、昔の人々はみな知っていたのだろう。
世の無常を桜に見出し、詠まれた歌もまた多い。

 散ればこそ いとど桜はめでたけれ
         憂き世になにか 久しかるべき

これは伊勢物語にある、詠み人知らずだ。
この世の中で一体何がいつまでも変わらずにいるといえようか。
そうした無常観を、散りゆくゆえにこそ一層に美しい、という表現を通じて歌い上げる。
桜は咲いた瞬間から、やがて散りゆく運命を背負っている。
人もまた同様で、生まれたからこそ、死ぬのだという。
伊勢物語の成立は平安初期とされる。
遠く平安の頃から詠われた無常観が、晩翠の「荒城の月」にも、 そして今日の我々の体内にまでも、通底して流れている。

このような句もある。

 散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛和尚)

今まさに命が燃え尽きようとしている時、たとえ命が長らえたところで、 散りゆく命に変わりはないという、良寛の辞世の句だ。

 風さそふ 花よりもなほ 我はまた
       春の名残を いかにとやせん

風を自ら誘って散る桜の花よりも、なお急いて散ろうとしている自分は、 今生への心残りを、どうするすべもない・・。
同じ江戸時代、太平の元禄に散った浅野長矩の、これも辞世の歌である。

歌や句にも見るように、桜には「恐れ」の要素が含まれている。
その背景には、人間の死がある。
だが「無常」観には、恐れるだけでなく、うけいれる要素も含まれる。
死も、死者も、日常の生活と共に在ったからなのか。

本稿の冒頭の歌、これは、私の好きな歌だ。

 願わくば 花の下にて 春死なむ
        その如月の 望月の頃

(願わくば、桜の下で春に死にたい。それも三月の満月の頃に。)
平安の末期、西行法師の歌だ。
「きさらぎの望月」は、陰暦二月、現在の三月の十五夜の満月の頃だという。
ここにも、桜に月が登場する。
どちらも人の死を、深く想起するものだが、どことなく長閑と言うか自然体だ。
むしろ、死を進んで迎えようとしている。
我々現代人もよわいを重ねれば、このような境地になれるのだろうか。
自分には自信がない。
今生へしがみついて生きている身には、おおいに惑いが勝ってある。

■■■■■■■惑いの桜
おわりに。

 世の中に 絶えて桜の なかりせば
        春の心は のどけからまし

古今集在原業平の歌。
人は桜が咲くのを待ち、散るのを惜しむ。桜があるからいつまでも心穏やかとならない。
やはり、桜は一筋縄ではいかない。
そして春は、のどかに見えて、のどけからぬ季節なのだ。

2020.04.29. 桜の稿、了。

晩秋の久住 <第一日目>

2015 晩秋の久住

第一日目(2015.10.21.Wed.)

晩秋の久住

10月21日 水曜日 快晴 6時少し前に目が覚める。普段じゃあありえないことだ。
シャワーを浴び、脳を覚醒させる。
マンションを出るときに管理人のNさんに、怪訝そうな顔で見られる。そりゃあそうだ、平日に勤め向きの恰好じゃあない。
外へ出て、駅へ向かう多くの人々とは別方向に、彼らとは不釣り合いな格好でレンタカー屋へ。デミオを7890円で借りて、九州道鳥栖から大分道へ。九重インターで降り、一路久住を目指す。途中の九酔峡の紅葉が美しい。

九州北部地図

長者原に到着し、ビジターセンター向かいの駐車場に車を入れたのが11時過ぎ、着替えたり靴を履いたり、ビジターセンターによってトイレを済ませたりして、出発は12:00ちょうどとなった。

長者原登山口からの登り

登山口から諏蛾守越方面にむけ、しばらくの間登山道はまっすぐに伸びている。
5分も登ると、立ち上げられたパイプから、勢いよく水がほとばしり出ている場所に来た。しかし、なぜか自分はここで給水しなかった(もちろん給水タンクは持参している)。なんで給水しなかったのかいまだによく思い出せない。
山の上に行っても給水できるポイントがある・・・と、なんとなく思い込んでいたとしか言いようがない。
この日から翌朝にかけて、久住山頂下であれほどの体力消耗を招いたのも、ここでの思い違いのせいだが、すべて後の祭りだ。
出発時間が遅くなったことも手伝ってか、先を急ぐ気持ちが勝っていたのだろう。事の深刻さもわからずに、500mlのポカリスエット1本もって、どんどんと登っていく自分がいたのであった。

◆通常のマウス操作で拡大・縮小、移動が可能です。
◆第一日目のルートは、赤の線で表現しています。出発地点の長者原ビジターセンター、到着点の久住別れ避難小屋までスクロールしてみてください。
◆この地図は、国土地理院電子地形図の地図タイルを使用しています。 第一日目の行動予定は次のように想定していた。

長者原 ⇒ 諏蛾守越 ⇒ 三股山ピストン ⇒ 久住別れ

 ⇒ 星生山 ⇒ 久住山 ⇒ 中岳 ⇒ 法華院温泉・坊がつる

だがこれは粗い計画で、今日どこで寝るかも、この時点で定めていない。まあ、最悪は野宿もありかな・・ぐらいの考えだ。

砂防ダムを通過

まっすぐ道が終わり、しばらく林道を進むと砂防ダムが現れる(12:20)。 ビジターセンターの標高が約1,035M、ここが約1,190Mだ。

緑に赤

山肌の紅葉が美しい。高まる期待・・。

森林限界

長者原から見えていた三股山が大きく目の前に。 既に高木はなく、森林限界に近づいている。

溶岩原か

12:36 溶岩原(?)に出た。降雨時は川になるのだろう。

ススキ原

斜面を覆うススキとササのコントラストが美しい。

ススキと笹の斜面

三俣山の山容

堂々たる山容の三股山。

硫黄岳

12:55 硫黄岳西斜面の噴気が、はっきりと見えてきた。
時間が押しているので、重い荷物を背負っているにもかかわらず、小走りに登っていく。この自分はまだ元気だ。

硫黄岳西斜面の噴気

黒々として植物を寄せ付けない山肌が、活発な火山活動を物語る。

三股山斜面

三股山を左に見上げながらどんどん登る。

諏蛾守越到着

13:20 諏蛾守越到着。 避難小屋は多くの登山客であふれていた。 見上げると三股山山頂から、何人も降りてくるのが見える。 当初は三股山へのピストンを計画していたが、時間がないのがはっきりしていたので断念。 小休止後、すぐに出発し、北千里ヶ浜方向へおり下る。

坊がつる方面

北千里ヶ浜から坊がつる方面をのぞむ。 案内図では「中宮跡」となっているあたりだ。 中宮跡・・?? 後で調べてみよう。

分岐標識

13:26 諏蛾守越から下りきったところの分岐の標識。 北千里ヶ浜は、かつては巨大な火口であったのか、カルデラのすその谷間であったのか・・・ いずれにしろ、このように広いフラットな地形が形作られるためには、水が関与しなければならない。かつては湖があったものを、長い年月をへて土石や火山灰が堆積して埋め立てたものであろう。

北千里ヶ浜をゆく

北千里ヶ浜を「久住別れ」方向に進む。 荒涼とした、砂漠的風景だ。

見上げれば岩稜が

広くて平らな北千里ヶ浜を、ややコースを外れて西側斜面に沿って歩く。 上を見れば、大きなごつごつとした岩が山肌を覆っている。

岩だらけの山塊

転がり落ちた大岩群

周囲には大きな落石が散らばっているから、あまり近づかぬ方がよさそうだ。

小さな流れ ふと足元をみると、小さな、ほんの小さな流れがある。 いずれ周辺の山肌からしみ出したものであろうが、わずかながらに流れがあるのだ。 ためしに一口だけ口に含んでみる。 硫黄の成分が強く結構な酸っぱさだ。 給水するか・・・いや、まだいいだろう・・・(ばかな)。

硫黄山見上

硫黄山見上②

硫黄山見上③

黄山東側の山頂部を仰ぐ。

硫黄山見上④

盛んに噴気が上がっているが、噴火の恐怖というのは感じられない。 比較的安定しているのだろう。 油断は禁物だが、もしいま噴いても簡単には逃げようもないのだ。

北千里ヶ浜振り返り

13:36 進んできた北千里ヶ浜を振り返ると、左手には先ほどの岩に覆われた山稜。 溶岩の塊が盛り上がり、風化してできたものであろう。 正面奥には三股山。

巨大な岩塊

13:58 北千里ヶ浜の広い火口原も終わりにさしかかり、登りが始まる。 まず出迎えてくれるのが、この大岩だ。 小さな家一軒分もあろうかという黒々とした大岩が宙に浮いている。 これが落ちてきたら、本当にひとたまりもない。 「大黒岩の頭」と勝手に命名し、先を急ぐ。

久住別れへの登り

14:08 久住別れ手前の登り。岩場が続く。 右の斜面上の白い部分は、地理院地図で噴気マークのある場所だが、 現在は噴気を確認できない。 このあたりでたしか、昼食のおにぎり2個を食べたのだったかな・・。

久住別れに到着

14:15 久住別れに到着。 三股山方向を見る。北千里ヶ浜は手前の小ピークで半分隠れている。 ここの標高が、約1640Mだ。 長者原のビジターセンターあたりの標高が1030Mくらいだから、標高差にして約600Mほど登ってきたことになる。とりあえずお疲れ様。

久住山を望む

久住別れより本日登る予定の久住山<1787M> この時は、久住山が最高峰と思っていたので、何としても登ろうと考えている。

星生山への登り

久住別れより、星生山方面への登り。見えている岩峰は最初のピーク。 登山道右の白い部分は、先ほどの地形図にある噴気跡。

久住別れ避難小屋の前のフラット部分

14:21 久住別れのすぐ下にあるフラット部分(火口跡)
避難小屋とトイレの屋根が見える。
星生山には最初から登るつもりでいた(硫黄岳の噴気を真上から確認したかったから)。 しかし時間から言って、15時過ぎにはここへ戻りたいなあ。 時間的にも中岳はあきらめる越到着として、久住山頂には立ちたい。 久住山~稲星山~中岳下の分岐から坊がつるへの下山ルートと進もう。 ダメでも、~白口岳~鉾立峠経由のルートもある。 坊がつるまで下ったころには、日没もやむを得まいな・・・。 いざとなれば、ビバークしてもよい。死にはすまい。 この時はそんなことを考えていた。 何しろこの好天だ。峠だというのに風も全くない。予報でも今夜~明朝の降雨もあり得ない。まず、目の前の星生山へ登ろう。

西千里ヶ浜一望

14:31 星生山手前の岩峰を登りきると、西千里ヶ浜が一望される。その先は牧ノ戸方面だ。 まだ日も高い。

岩くぐり

14:35 登山ルートは、この岩の間をくぐっている。ややビビる。

硫黄山見下ろし 硫黄山見下ろし② 硫黄山見下ろし③

14:43 尾根部から硫黄山がよく見える。文字通り、硫黄色となっている。

一枚の絵画_星生山南斜面の紅葉

14:48 これは一枚の絵画だ。 南斜面は美しく紅葉している。

星生山への最後の急登

14:48 星生山手前の急登(中ほどに先行する登山者が見える)。 踏み外したら大変だ。

星生山登頂

14:50 星生山登頂。 途中で追い越した2人組の登山者に撮ってもらった。 少し会話をする。 「これから久住山登って、坊がつるまで行く予定です」 一瞬、おいおい?という表情が浮かんだような・・・ 「夜景とか撮るんですか?」「いやぁ、そんな大したもんじゃあないですけどね」 「じゃあ、一泊して明日は?」「大船と三股山に行こうと思ってまして・・」 やれやれ・・

硫黄山越しの北千里ヶ浜

14:58 山頂から硫黄山越しに北千里ヶ浜を下に見る。 その先に坊がつるの草地がわずかにのぞき、さらに向こうは大船山と平治山まで見渡せる。 贅沢な景色だ。

頂上標識と久住山

15:16 牧ノ戸へ戻るという2人の登山者と別れ、山頂を後にする。

真っ赤なドウダン

尾根伝いには下りずに、最短コースで急坂を西千里ヶ浜へ下る。 低木の間の登山道は崩壊気味で悪路だ。 何度もバランスを崩してはずり落ちる。

急下りの草紅葉

紅葉は美しいのだが・・・ ミヤマキリシマなのか、それともドウダンなどか・・・? こんなにも、あかあかとなるのだな・・。

旧火口跡に残る紅葉

15:16 斜面途中に特に紅葉が残っている部分は、旧火口。

旧火口越しに久住山

地形図に凹地として表示のある部分だ。 火口の内側には巨石がごろごろしており、南面していて日当たりもよく、その分紅葉が遅いのだろう。今まさに赤々となる。 前方奥には久住山

前方に肥前ケ城

15:17 前方は、溶岩が高原状に盛り上がった山塊と思われる。 後に購入した案内図には、「肥前ヶ城」とある。

大岩の間の紅葉

箱庭のようで、なんとも美しい・・・

旧火口全景

15:24 先ほどの紅葉が美しかった凹地。 こうして少し離れると、結構な大きさの火口であることがよくわかる。

15:24 急坂を降りきると標識がある。 急がなければ。

一面のすすき野

15:27 丘を覆うススキの大群落。 絹のごとく白金のごとく輝いている。 しばし足を止めてしまうほどの神々しい光景だ。

久住別れへ

15:27 久住別れへと急ぐ。 この間、結構な人数の登山客とすれ違う。牧ノ戸に降りる人たちだ。 逆方向に歩く私に、怪訝そうな視線を向ける人もいたのだろうな。

それへ向かって登っていく

15:53 久住別れ下の避難小屋到着が15:34。 小屋の中を確かめるも、とても泊まれるようなところじゃないな、とこの時は思っていた。 小休止後、久住別れから久住山頂を目指し登り始める。

中岳分岐を右へ

ほどなくこの中岳分岐。 右へ右へと登ってゆく。 避難小屋前で2、3人登山客を見たのが最後だ。 もはや登山客の姿はどこにもない。

星生山見返し

16:01 山頂手前の尾根下の分岐から、先ほど登った星生山を見返す。 登山で16時といえば、下山し終わっている時間と相場が決まっている。 それがまだ山頂手前というのだから、坊がつるまでは降りられないかな・・と思い始める。 とりあえず、久住山頂を極めよう。

久住山山頂 1786.5M

16:14 久住山頂。 さてこれからどうしたものか・・・ あまり迷っている時間はない。急ぎ判断を下さなければ・・。 とりあえずこの先の稲星山まで行き、そこから白口岳経由のルートをとるか、 中岳下の分岐から、破線ルートだが坊がつるへのルートをとるか考えてもいいだろう。 右ひざが少し痛くなってきたな・・ 既にポカリスエットは残り数口分しか残っていない。

三俣山と北千里ヶ浜

三俣山方面。寒くなってきた。

中岳と手前の火口を見る

中岳。山影が・・

噴気を上げる硫黄岳

硫黄岳を遠望す。だいぶ暗くなってきた。

稲星山と東千里ヶ浜

中央は、東千里ヶ浜。右が稲星山。奥にうっすら見えるのが大船。
東千里ヶ浜の半分を山影が覆う。

夕闇迫る稲星山山頂

16:54 稲星山山頂。
喉の乾きが著しいが、飲み水がないのだ。

相当に暗くなる

もはや馬鹿げた時間になってきた。

荒涼の稲星山

荒涼の稲星山。東の分岐へと下る。

稲星山東の分岐

分岐に到着。

白口岳

疲れた。なによりのどが渇いた。
坊がつるまで降りたい。水をがぶ飲みしたい・・・。
けれど、正面に見える白口岳を越え、鉾立峠をへて坊がつるに下るのはしんどすぎる。破線ルートながら、中岳下の分岐から、直接坊がつるへ下ることはできないものか・・・

草むらにへたり込む

へたり込む。
もう、足が痛い(つま先に激痛が走り出した)。

中岳下分岐

中岳下の分岐まで来るが、なんと直接坊がつるへ下るルートはロープで閉鎖されているではないか。しかも「土石流多発のため通行禁止」だと。

ロープをくぐって降下を試みるが敗退

雨も降っとらんし、土石流が起こるはずもないだろ。
無謀にもロープをくぐり、70〜80M降下するが、ルートは荒れ果て、急斜面でブッシュがきつく、もんどりうって転倒してしまった。これではとても降りられない。敗退が確定する。
仕方なく登り返した。

月が出てくる

やっと中岳下分岐に戻り着く頃には、月が出てきてしまった。
日は完全に落ち、夜のとばりとなる。
今日はよく晴れた。その分、急速に冷え込んでくる。

残照

これで今夜は、まともなところでは寝られないのが確定する。
こうなれば、久住別れの避難小屋まで戻るしかない。 東千里ヶ浜を縦断し、久住山頂手前の分岐まで登り返した後、暗闇の中を久住別れまで下るほかあるまい。 どんどん暗くなるから、直ちにヘッドライトとダウンジャケットを取り出し装着する。

残照を背景の久住山

残照を背景の久住山。 やっとここまでたどり着くのは、18:15分となっており、ヘッドライトを頼りになんとか避難小屋へ到着するのは19時近くという、燦々たる結果となった。

東千里ヶ浜を泣きそうになりながら彷徨するわけだけれども、言い訳する気はないが、この燦々たる結果にも、多少の確信犯的要素はあった。
一つは雨の心配がなかったこと、二つ目は日が暮れて冷え込んだとはいえ比較的気温が高かったこと、そして三つ目はビバークの準備をしてきたことである。
痛恨のミスといえば、何を勘違いしたか水を持ち上がらなかったことと、靴が合わずに両足のつま先に激痛が走って思うように歩けなくなりつつあることだ。
水のないおかげで、せっかく持ち上がったクッカーも食料も食べることができなかった。本当に腹が減るほどつらいことはない。アメで凌ぐ夜となった。

⇒第二日目へ

jadwigalareve.hatenablog.jp

→jadwigaの研究室

2015 晩秋の久住 <第二日目>

2015 晩秋の久住

第二日目(2015.10.22.Wed.)

晩秋の久住

10月22日 木曜日 快晴
夜は寒くて何度も目が覚めた。
何度めかに目を覚ましたのは4:30くらいだったか・・ この夜は流星群の見られるはずと思い出し、凍えながら外に出る。しばらく夜空を見上げていると、サーっと流れるものがある。流星だ。ほかの星もよく見えている。昨日に引き続き快晴を予想させる。

第二日目のはじまり。避難小屋前から阿蘇方面を遠望す。
高原は朝霧で埋め尽くされる。
夜明け

■行動地図(青ラインが2日目、赤ラインが1日目です)

◆通常のマウス操作で拡大・縮小、移動が可能です。
◆第一日目のルートは、青の線で表現しています。出発地点の長者原ビジターセンター、到着点の久住別れ避難小屋までスクロールしてみてください。
◆この地図は、国土地理院電子地形図の地図タイルを使用しています。

第二日目の行動予定

◇ 避難小屋 ⇒ 天狗ケ城 ⇒ 中岳 ⇒ 御池 ⇒ 久住別れ

 ⇒ 北千里ヶ浜 ⇒ 法華院温泉 ⇒ 坊がつる

 ⇒ 雨ヶ池越 ⇒ 長者原

日の出前の岩峰と避難小屋
日の出前の星生山手前の岩峰と久住山避難小屋。標高1640M付近。

一夜の命を守ってくれた避難小屋
避難小屋(手前)とトイレ棟(奥)。
屋内はやや荒れていたが、それでも、大げさだが一夜の命を救ってくれた。

涅槃像 06:12 出発する。
阿蘇五山。涅槃像とはよく言ったものだ。
足の痛さは限界で、空腹にも耐えかねている。だがここまで来たんだ。最高峰の中岳山頂を踏まずに帰るのは、なんだか気が引ける。水も底をついたが、もう少し辛抱してみよう。

由布岳遠望

06:15 久住別れから少し登ると、由布岳方面の眺望が得られる。日の出直前だ。山並みが折り重なる。
・・と、気配がして振り向くと、巨大なイノシシが今来た登山道を猛烈なスピードで横切る。5Mほど後ろ。

「・・っああっ、あっ!!」

驚いた。これには驚いた。巨大だった。本当に驚いた。

ご来光 朝日が昇ってくる。
朝日の当たっている部分の右が星生山。左が1698扇ケ鼻だろうか。避難小屋も日の当たる中央岩峰の左下に小さく見えている。
星生山手前下の尾根上に小規模な火口が見える。1995年の噴火時のものだろうか?
こうしてみると、避難小屋前の広場状の平らな部分も、かつての噴火口跡に火山灰など土砂が堆積してできたのだろう、と思えるわけだ。

涌蓋山方面 星生山ごしに涌蓋山方面を見る。
足が痛い。それに腹が減った。のろのろと登っていく。

御池を見下ろす 御池を見下ろすあたりまで登ってきた。陽の当たる範囲が拡大していく。

天狗ケ城 06:36 天狗ケ城。

硫黄岳の噴気 昨日見上げた硫黄岳を、今度は見下ろす。

三股山 三股山方面をみる。

岩場に残る紅葉 まだ朝日が照らしていない北斜面。岩場に埋もれるように紅葉が残っている。

晩秋の久住 まさにこれが、晩秋の久住の光景だ。

天狗ケ城見上 06:47 天狗ケ城を跡にする。

中岳へ 正面に中岳への登りが見えてくる。

中岳山頂 07:04 山頂到着。

涅槃像再び 阿蘇方面。涅槃像再び

涅槃像再び②

平治山と由布岳 似てるけど、こちらは由布岳鶴見岳。手前はミヤマキリシマの有名な平治岳(へいじだけ)。
山々の連なりの美しさよ・・

谷間の紅葉 谷に続く窪みに岩が露出し、その周りにだけ紅葉が残っている。 ベージュ色の絨毯のように見えるのは、ドウダンなどの低木が枯れたものだ。
このような奇跡的風景を捉えられたことを、今は感謝しよう。

谷間の紅葉② 山肌はベージュの絨毯に覆われている。紅葉のオレンジが点在する。
これが撮りたかったのだ。

坊がつる遠望 坊がつるを遠望す。今日も晴天は間違いない。

硫黄山〜涌蓋山黄山から涌蓋山方面。

もういちど もういちど。
谷の先端部は、坊がつるへと急速に落ち込んでいるように見える。 ここは、奇跡の谷なのだろう。

中岳山頂から御池へ向かう 中岳山頂から御池へ向かう。

池の小屋 07:32 池の小屋到着。
昨夕、いくら探しても見つけられなかった。でもこの小屋は石積みだし、久住別れの避難小屋のほうがマシではあったと思う。

御池の水面 御池の湖畔まで降りてくる。 爽やかな秋晴れの朝、素晴らしい晴天にもかかわらず、この頃にはもう空腹と脱水状態と、両足の激痛で、ふらふらと彷徨するほかはなく、ペースは大いに滞った。
もう水がない。目の前の御池がいくら水をたたえていようとも、飲むわけにはいかないよなあ。

空池 御池から、空池を見下ろす登山道まで、やっとのことで這い上がってくる。御池同様、空池ももちろん噴火口だ。だが水がない。抜けてしまったのだろうか・・・
体が心底乾ききっている。水が飲みたい。
第一、このままで、帰りつけるのだろうか。
ふと、昨日の硫黄岳下の小さな流れを思い出した。硫黄成分が十分に溶け込んだあの酸っぱい水を、今はどうしても飲みたい。 あの小さな流れに、這いつくばってでも直接口をつけて、がぶ飲みしてやる。絶対にそうしてやる。川の水全部飲んでやる。

久住別れ見上げ_救世主現る 08:10頃 久住別れまできたところで立ち尽くしていると、救世主が現れる。
久住山側から下りてきたご年配の方に遭遇した。暗いうちから一眼レフをぶら下げて登ってこられて、ご来光を撮られたとか。しばし立ち話をしながらつい、水を切らして困っていると漏らすと、ためらいもなく持参の水をマグカップになみなみと注いでくれる。
慌てて、「それはいけません、大切な水をいただくわけにはいきません」といったものの、「いやあ、私はコーヒーを飲む分があればいいんですよ」といわれ、あっけなく陥落。
一気にグビグビと飲んでしまう。結局二杯目も注いでもらった。
この方は、星生山方面へ今度は紅葉を撮りに行くという。
お名前を伺ってもと言うとそれには答えず、「山の自由人」というブログをやっておられると言い残して去って行かれた。
この方には2年後、2017年6月に再び久住でお会いする。この日のことのお礼を申し上げたのはもちろんだが、不思議な偶然だった。
この場をかりて、御礼申し上げます。
ありがとうございました。

酸っぱい川 久住別れから降り下り、痛い足を引きづって北千里ヶ浜を北へとさまよいながら、流れを探し歩いた。
そしてようやっと、昨日見たあの小さな流れを発見する。 「山の自由人」さんから水を二杯も頂いたのに、私の喉は乾ききっていて、リュックを放り出すと倒れ込むように川面に突っ伏してガブガブと、本当にガブガブとがぶ飲みした。硫黄分が強いのはわかっているが、関係なかった。とにかく飲みに飲んだ。

待望の朝食 9時まえだろうか、ようやっと一心地着くと、今度は猛烈に腹が減ってきた。
酸っぱい水を、砂の入らぬようにコッヘルに注いで、ストーブで加熱する。その間に袋麺を準備して待ち構える。
このとき食べたチキンラーメンは美味しかった。あの塩気は未だに忘れられない。

不思議のながれ やっと落ち着きてきて、あらためてあたりを見回す。
だいたいこの川は何だ。どこから流れてくる?
激痛走るこの足では、渡りきるのに数十分もかかった北千里ヶ浜だが、大した距離じゃあない。上流側にはどこにも水源らしい場所はない。草もろくに生えぬような荒涼とした場所だ。それが、あるところから忽然とながれが始まり、この写真のあたり(諏蛾守越下のやや南)で唐突に地面に吸い込まれて姿を消してしまう。しかも流れは淀まず、さらさらとながれているのだ。不思議なこともあるものよ・・

諏蛾守越下(中宮跡) 食事もし、たっぷりと休憩して、10:00過ぎに出発する。
写真は諏蛾守越下、すなわち中宮跡と呼ばれているあたりを通過し、坊がつるへ向かう。

諏蛾守越方面を見返す 諏蛾守越方面を見返す。火山の光景だ。

途中にはケルンもある 途中にはケルンもある。 普段、登山者が多いところだが、今は誰もいない。

坊がつるへの急下り。 坊がつるへの急下り。ここは両側に山が迫り、大岩がゴロゴロと転がっているところを下りていく。岩を一つ越えて降りるのにも、いちいち激痛が走る。なんでこんな痛いんだろう。

三股山南斜面 左には三俣山の南斜面。溶岩が積層し、柱状節理も見られる。

大船 正面に大船山だいせんざん)が大きく見えてくる。

湧き水 道端に水が涌いて流れ、登山道を水浸しにしている。ひとすくい飲んでみると、今度は酸っぱくない。
先程ペットボトルに汲んできた酸っぱい水は綺麗サッパリと捨ててしまい、新しいおいしい水でボトルを満たす。

坊がつる到着 12:05 法華院温泉を通過し、坊がつるに到着する。

大船山腹の紅葉 大船山腹の紅葉を仰ぎ見る。

大船山腹の紅葉② 今が盛りと色づいている。

ススキとのコントラスト ススキとのコントラストが美しい。

三俣山 坊がつるからの三俣山全貌。
溶岩の流れによる山塊の形成がよくわかる。

筑後川源流 坊がつるを流れる鳴子川。 うすいブルーの色をしている。
この流れが、筑後川源流のひとつとなっているのだ。
坊がつる、そして久住山系は、筑後川の源だった。 かの、團伊玖磨作曲の合唱組曲に謳われた「筑後川」だ。

紅葉に別れをつげる 何という美しい色の共演・・。
12:32 紅葉に別れをつげ、帰途につくことにする。

◇このあと、約2時間をかけて長者原へもどるわけだが、標高1230M付近の坊がつるから、一旦標高を上げ、標高1358Mの雨ヶ池越へ。そこから三俣山を回り込むようにしながら、標高約1030Mの長者原へと下りる。

◇この間はろくに写真も撮っていない。
なにしろ、足の痛みが極限を迎えている。足を引きずり引きずり、のろのろとしたペースでしか進めない。

◇2016年、霧島連山への山行で判明することだが、なんと登山靴自体のサイズが小さかったのだ。霧島山行の初日に、案の定午後になるともう痛くて歩くのが嫌になってくる。翌日試しにスニーカーで登ると、ほとんど痛みの出ないことでやっとわかったという、なんとも間抜けな話だった。
しかしこのときは知る由もなく(気が付きそうなものだが)、痛みをひたすらこらえて歩き続けるのである。 右足親指の爪 一月後、右足親指の爪が完全に剥がれ落ちた。

■まとめ■
九州での本格的な登山のはじめの山は、やはり久住であった。
結果はと言うと、登山初心者も多い比較的やさしい山でも、舐めてかかってイケイケどんどんだと、手痛いしっぺ返しを食らうことにもなる。水の確保がどの地点まで可能なのかはきちんと調べておかなければならなかった。

だが、全体としてみればとても楽しく、素晴らしい山行だったことは間違いない。美しい紅葉、雄大な火山景観、流星群、イノシシ・・・どれをとっても心に残る思い出の山行となった。

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