奥秩父主脈縦走5日間 <2019.05.01-05> 第三日目

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<第三日目>
笠取小屋(07:10)→雁峠(07:25)→燕山(8:30頃)→古礼山(09:14)→水晶山(09:50)→雁坂峠(10:30)→雁坂嶺(11:42)→東破風山(13:24)→西破風山(14:01)→破風山避難小屋(15:08)→木賊山(17:09)→甲武信小屋(17:32)

笠取小屋の朝。05時00分ごろ起床。遅いっての。

My tent ![mytent](

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笠取小屋メインタワー。奥へ進むと水場への降り口がある。 笠取小屋

昨夕に受付の際、小屋の方に、今日甲武信ヶ岳方向へ向かうがコース状況はどうかとお聞きすると、

「アイゼン持ってきたか?」
と厳しく問いただされた。
「持っています。軽アイゼンですが。」
「雲取からここまでとは、比べものにならんからな」
「そうですか。でも距離的にはここから甲武信ヶ岳のほうが少し短いのでは・・・」
「いやいや、登りがあるから全然違う。それにまだ雪も着いてて凍ってるからな」

なるほど、簡単じゃあないのね。

07時10分出発。どーしてもこうなってしまう。
テン場の様子。
だいたいみんな撤収している。そりゃそうでしょ。 テン場の様子

雁峠分岐。左へ進む。 雁峠分岐

無人(?)の小屋横を通り抜ける。 無人小屋

雁峠。正面が燕山への登り。 雁峠

峠の標識 左へ降りると、林道から広瀬湖へ出るらしい。 峠標識

左手(西側)奥の山容は、国師西側眺望

右手(東側)は笠取山。ピークは諦めることに・・。 東に笠取山

燕山手前の肩の部分まで登ってきた。正面が燕山。
この肩の部分で標高1990M。雁峠が約1780Mだから、標高差200Mほどだが、もー疲れてる。 燕山手前肩

燕山から古礼山あたりは、富士山への眺望が抜群だ。
どーしても写真に収めたい。
ごちゃごちゃやってるうちに20分ほども時間を浪費してしまった。
その挙句が、下のハーフ・ホワイトアウト・マウント・フジ。
半分ホワイトアウト富士

古礼山手前のタル付近からの富士。 富士山

も一丁。だんだん上手くなってきた。 富士山遠景

西を見はるかせば、遥かに白銀の南アルプスではないか。 西に南アルプス

古礼山まき道分岐まできた。09時03分だ。
巻かずに山頂へ向かう。 古礼山まき道分岐

古礼山登り斜面。ここは一旦緩やかに。 古礼山登り

倒木の向こうに山頂の標識が。くぐるのか。またぐのか。 山頂近し

9時14分、古礼山山頂(2112M)。 古礼山山頂

山頂から富士。 山頂から富士

9時50分、水晶山山頂(2158)。水晶はないかな・・ 水晶山

山頂のベンチで小休止。 小休止

下り始めるとすぐ雪が出てきた。 残雪斜面

雁坂嶺が見えてくる。
秀麗にして堂々たる山容。 雁坂嶺をのぞむ

国師方面もよく見えてくる。明日はあの向こうまで行くのか。
遠いな〜 国師遠望

笠取小屋で給水してきたので、雁坂小屋へは寄らず、直接雁坂峠に向かう。

10時30分雁坂峠到着。
今のところ天気は最高だ。
自分にしてはまずまずのペースだが、すでにへとへと状態。
20分ほど休むことにした。 雁坂峠

広瀬湖方面。 広瀬湖方面

この峠の少し手前の真下を雁坂トンネルが通っている。
国道140号。いわゆる「雁坂みち」。あるいは「秩父往還」。
1988年にトンネルができるまでは、ここを通る登山道が国道だったという。今や山梨ー埼玉を結ぶ重要ルートとなっている。
また、誰が決めたのか日本三大峠にもなっているそうで、その説明書きもあったが、疲れ過ぎて写真を取る気力すらない。

国立公園の案内板。 案内板

埼玉方面から、トレランの方が上がってきた。話を聞くとこれから木賊山方面へ行けるところまで行き(走って)、また雁坂峠経由で帰るという。半袖半ズボンに小さなリュックと、軽装だが、しかしよくやるものだ。
そんな話を聞いていると、こっちの疲労がますます滲んでくる。
この方とは破風山の稜線で再びお会いする。

雁坂峠で休みすぎたか・・。11時42分、雁坂嶺到着。
標高2289M。雁坂峠(2082M)からの標高差200M強となる。 雁坂嶺

雁坂嶺より南側遠望。遠くにホワイトアウト富士かもしれない。
少し曇ってきた。 南側遠望

同じく、甲武信方面遠望。 甲武信方面遠望

木の間から見える正面の濃い緑の塊が破風山。
その向こうに木賊山。さらに右隣のピョコンが甲武信ヶ岳
今日、あそこまで行くのか〜。

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東破風山の取り付き(2180M)までは、比較的なだらかな稜線を100Mほど下るのだが、その後の登りを考えるとね。
いっそ平にしてくれないかな・・ 緩やかな稜線を下る

立ち枯れた木々のある場所。
いや、魚の骨・・・ 立ち枯れた木々

魚の骨、終わる。奥が雁坂嶺。
ここまでも長いな〜 魚の骨的な

縦走路標識。 縦走路標識

破風山へ登り始め。
最初はこんなもんだが、すぐに・・・ 破風山取付き

もう、キッツいのなんの。 厳しい急登

標高差100Mほどだが、今日一番の急斜面だ。
激しく体力を消耗していく。

急斜面見下ろし。写真では多分わからない。 急斜面見下ろし

アイゼンはまだ装着していないが、登りの半分以上に雪が着いていて、急斜面なので何度も滑る。下りではアイゼン必須だろう。這いつくばるように登る。

東破風山。へたり込む。 東破風山山頂

環境省の標識には<標高2260M>とある。
しかし地理院地図のコンターを読む限り、2280M以上を示しているのは明らかだ。どっちが間違ってるの?
この時は首をひねりながらも、先へと進んだが、地形図の間違いであるならば、由々しき問題だ。
納得の行かない話である。

西に木賊と甲武信。まだまだ先だ。 木賊方面を見る

国師遠景。手前は鶏冠尾根。 国師遠望

広瀬湖・西沢渓谷方面。こちら側は人気のルートだ。 広瀬湖・西沢渓谷方面

西破風山と木賊山。間に見えるのは甲武信ヶ岳と思うが、もしかすると三宝山で、甲武信は隠れて見えないだけなのか・・。よくわからない。 木賊山と西破風山方面

東破風山〜西破風山は結構長く感じる。岩稜帯で歩きづらくもある。 西破風山への岩稜帯

鶏冠尾根のギザギザがはっきり見えてきた。
この尾根には進入禁止だ。 鶏冠尾根

14時01分、やっと西破風山に到着。標高2317Mだ。 西破風山到着

残雪が増え始める。 残雪

この後の急下りに備えて、アイゼン装着。 アイゼン装着

木賊山が大きく見えてきた。 大きな木賊山

破風山避難小屋が見える(真下に、という感じ)。 真下に破風山避難小屋

この高度感! この高度感

これを下って、また木賊まで登るわけ?
・・ここから賽の河原あたりまで、平らにしてくれないかな。

富士山遠望。 富士遠望

ありがたいことに、この岩場の下辺りから、凍っているそうだ。 岩場

避難小屋(約2080M)まで標高差240M下る。 240Mの下り

破風山避難小屋に到着。15時08分だ。
本来なら、甲武信小屋に到着していなければならない時間・・・ 破風山避難小屋

西破風見返し。ぐずぐずしてはいられない。 西破風見返し

このあと木賊山とりつきのあたりは、気が急いて写真を撮っていない。いずれにせよ避難小屋からは、標高差390M程を登る。
雁坂峠あたりから右膝が痛い。ここまできて今度は右足付け根も痛みだした。
気力を振り絞って、先に進む。

とにかく黙々と300Mちかく登って、賽の河原と呼ばれる岩場に到着。
急登の連続で体力消耗が著しい。 賽の河原

岩場より。
右の方から左へ稜線をたどれば木賊山山頂だ。
まだまだの気がする。 木賊山頂方面を見る

木賊山東斜面を見る。徳ちゃん新道はあの稜線の上か。 木賊山東斜面

破風山を振り返る。
三角形の斜面が顕著で、たしかに屋根の破風のように見える。 破風山見返し

さらに登る。急に気温が下がってきた。 さらに登る

雪の着いた急登。 雪の着いた急登

キッツいなー。
アイゼンを効かせながら登って行く。 急登

やっと甲武信小屋へのまき道分岐についた。
標高2410Mあたり。
まき道は行かずに直登する。 まき道分岐

戸渡尾根分岐。
近丸新道・徳ちゃん新道が別れる。

戸渡尾根分岐

木賊への最後の登り。 最後の登り

山頂だ。17時09分になる。 木賊山山頂

木賊山山頂標識。標高2468M。
やっとここまできたか。 2468M

木賊山から甲武信ヶ岳をのぞむ。とんがっているぞ。 甲武信ヶ岳

国師・金峰方面。
国師・金峰方面

瑞牆方面か・・。ベージュの空だ。 急激に気温が下がってきて、ポツポツとなにか降ってきた。 瑞牆方面?

はっきりとした降雪を確認。急いで小屋へ向け降下する。

甲武信小屋。17時32分。
だ〜〜〜、やっと着いたぜ。 甲武信小屋

テン場の様子。
えっ、雪上ですか?なんとなく予想してましたが。 テン場

受付を済ませ、小屋の方に設営場所を伺う。
「見ての通りいっぱいでね。雪の上に張ってもらうしかないけど、斜面だから、掘ってもらうしかないんだよね。スコップあるから。急がないと日没になるよ。」

なるほど、わかりました。
スコップお借りします。
案の定、到着が一番遅いのが自分です。
大体の場所を指示され、まわりの登山者に声掛けしたあとは、ひたすら掘る。スコップを振るい掘る。
20分ぐらい、ひたすら掘っては均し掘っては均しを繰り返し、どうにか一張りできるスペースをこさえた。
隣の方が最後の方を少し手伝ってくださり、ありがたかった。

大急ぎでテントを設営する。
所要時間大体5分でできるはずが、10分程度を要した。
内部にシルバーの遮熱シートを敷き、荷物も靴も放り込んでファスナーを閉め、スコップを返しに小屋に向かう。
18時20分過ぎだ。

雪上テント設営

寒気が入り込んで来たのか急激に冷え、体の震えが止まらない。
小屋番の方が見かねて「だいじょぶかい」といってくれた。
聞けば、宿泊客以外の食事はないのだが、おでんなら出せるという。直ちに注文する。
人の作った温かいものとは、ありがたいものだ。
このときしみじみ理解する。
明日はマイナスらしいよ、と誰かが言っている。
今でも充分マイナスでないの?

テントに戻ると暗くなってきた。
疲れていてもう何も食事を作る気になれない。
明日できるだけ早く起きるためにも、さっさと寝ることにする。
あらゆる衣類を着込んで、シュラフにくるまり、足をリュックの中に放り込んで眠る。
あっという間に睡魔が訪れた。

<第三日目 終了> 

⇒第四日目へ

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奥秩父主脈縦走5日間 <2019.05.01-05> 第二日目

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<第二日目>
雲取山山頂往復→雲取山避難小屋(08:05)→狼平→飛龍権現→将監峠→唐松尾山→黒槐ノ頭→水干→笠取小屋(18:15)

雲取山避難小屋

今回もお世話になった雲取山避難小屋

目が覚めて携帯を見ると、4時45分だ。
暖かくぐっすりと眠れた。モンベルの軽量シュラフはなかなか性能がいい。
さてと・・。

ハンガーリングしておいた雨具やパーカー、スパッツのたぐいはほとんど乾きもせず、グズグズの状態だ。
登山靴はと見ると、もはや絶望的だった。

あ〜あ・・・・・・・・・・
もう帰ろかな

この靴で、このあと4日も山歩きすることが考えられなかった。
びっしょり水分を含むアンダーウェアを着るのもいやだった。
何から手をつけていいかわからず、しばらく茫然となる。

20分ほどそうしていたが、よい策などあるはずもなく、とりあえず食事にする。
きのう買ったコンビニおにぎりはカチコチで、鯖缶もなかなか喉を通らない。
なんとか食べ終わると、外はもう朝日が眩しくなりつつあるようだ。今日は晴れるのだな。

こうなると、やはりここで撤退するわけにはいかない。
靴と靴下をどうしようか。
もう調理用の携帯ストーブで温めるしかない。
再びボンベにストーブを装着し、靴をかざす。片方ずつ、辛抱強く。
靴革の部分(合皮)を近づけすぎて溶かしてしまったりしながら、一時間半以上をかけて、かわるがわる乾かす。
靴下も乾かす。
年配の登山者の方が、ご親切にも朝日が当たってきた入り口のベンチに、雨具などを運んで乾かしてくださった。ありがたいことだ(この方は、今日もここに連泊されるという)。

7時くらいには、昨日お会いしたA氏が到着する。七ツ石から上がってきたのだ。
挨拶を交わしてすぐ、A氏は出発する。
乾かすのに時間がかかり、自分はまだぐずぐずしている。
着替えをし、荷造りをして、半乾きだが大分ましになった靴の靴紐を締め終わったのが、7時50分ごろだ。
山頂まで往復してから、くだんの年配の方に励まされながらの出発は、なんと08時05分ということになった。
まったく「登山にはあるまじき行為」と言えるだろう。

第二日目前半地図

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山頂まで、小屋から1分ほどだ。 雲取山山頂

8時ともなれば、もう登山客が山頂に何人もいるので、写真を撮ってもらう。
ここが東京都最高峰にして日本百名山雲取山山頂だ。 これからゆく山なみ

右手の湧き上がる雲の先が飛龍山と思われる。
国師はその左手奥に霞む山影か?
これから長い長い奥秩父主脈をゆくのだ。

だが、まずは笠取小屋までたどり着かなければ。ここでのんびりはしていられない。

小屋からはすぐに急下りとなる。
ここからは、自分としては初めてのルートになる。
コメツガなどの奥秩父らしい森を下ってゆく。 小屋からの急下り

08時22分、三条の湯分岐。 三条の湯分岐

分岐の少し先の登山道から、雲取山を見返す。
250Mほどの急下りだった(8時23分)。 雲取見返し

三ツ山方向を見る(8時31分)。 三ツ山方向

9時10分、狼平か。 狼平

まき道だが、険しい斜面に細い登山道が貼り付くように、やっと通っている感じ。
転落の危険が常にある。
アップダウンもはげしい。 まき道の様子

やっと、三ツ岩手前。 三ツ岩手前

もう一つの三条の湯分岐(10時41分)。 分岐

先程の分岐から80Mほど高度を上げていくと、飛龍山分岐となる。
頂上は踏みたかったが、この先の時間配分を読み切れない。
巻くことにした。

飛龍権現の少し手前に、鹿が現れる。 鹿、現わる

立ち止まってシャッターを押したのだが、向こうもしばらくジッとこちらを見ていた。
権現様のお使いだろうか。 見つめ合う鹿と私

飛龍権現に到着。11時43分だ。
コースタイムに比べ、やや遅いペースだ。 飛龍権現到着

小さなお宮がある。 権現様

ここは尾根の突端で、丹波山村への分岐ともなっている。 分岐標識

ここから、しばらく写真がない。
というか、息子から借りたカメラの使い方がよくわからなくて、ごちゃごちゃいじっているうちに、撮影した写真がほぼ全てホワイトアウトしてしまっているという失態をやってしまった。

第二日目後半地図

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飛龍権現を折り返すと、登山道の山手側に飛龍の水場がある。
ここで給水しようと思ったのだが、水音はするものの、ここは日差しが当たらないのか雪が付いて、とても水を汲める様子がないので、スルーした。
この水場はそもそも水量が少なく、夏場は涸れ気味だという。
手持ちの水は残り少なかったが(七ツ石の水)、この先2時間ほど進めば将監小屋の水場があるので、そこまではもつだろう。

だいたいがこの笠取山への登山道は、尾根の南斜面をトラバースするルートが大半で、夏場はかなり厳しいだろうが、この季節は日差しは強いものの気温はそれほど上がらない。
今日もよく晴れているが、吹き抜ける風はむしろ冷たいほどで、厳しいアップダウンにあえぐ体には心地よい。

大常木山・竜喰山の南斜面のまき道を小一時間も進んで行くと、なんと沢水を汲める場所があるじゃないか(13時15分)。 ガレ沢で給水する

この写真のような場所が、2〜3箇所ほどあった。
ガレた沢の水なので、夏場は涸れるかもしれない。また水質がどうかわからないが、これより上に登山道はないし、飲んでみても、普通にうまかった。
キャリーも含めて充分に給水する。

給水できたので、将監小屋はパスし、将監峠・牛王院平を経て、「山の神土」という、なにやら神話的な名前の場所に着く。14時56分だ。
ここは分岐になっていて、写真左がまき道、右へ上がるのが唐松尾山を経て水干方向だ。

山の神土(分岐あり)

このほか写真では見えないが、右手前側に右折していくと、広大な山域を誇る和名倉山(白石山)を経て秩父湖へ下るルートとなる。
和名倉山は道迷いのメッカだ。遭難事例が相次いでいる。
しかしそう聞くと、いつかは地形図とコンパスだけをたよりに踏破してみたい、と思ってしまうのは、すでに病の域だろうか・・?
さて今回は、ぜひ水干を訪れたいと思っていたので、足が痛くなり疲労も蓄積しているが、迷わず唐松尾山へ直登する。

10分ほど登るとガレ場を高巻きする場所がある。
登山道を含めた斜面崩壊で、そのまま進めない。右手の急斜面をよじ登る。
ここも、どこまでよじ登ればよいのか非常にわかりにくい。ちょうど反対方向から来た登山者も迷っていた。 ガレの高巻き

上の写真は高巻いたあとでふり返って撮影した(15時12分)。
写真の崩壊部分は法面の保護工事が行われているようだ。
この写真よりも前(左手方向)にも斜面崩壊部分があり、高巻きを余儀なくされる。

15時32分、西御殿岩分岐。
標識は、こんなもん。
登山地図に「眺めよし」とあるが、往復30分らしいのでパスするしかない。 西御殿岩分岐

唐松尾山への登り。 唐松尾山への登り

16時02分、唐松尾山到着 唐松尾山到着

山頂にはあまり眺望がない。 山頂の様子

唐松尾山から下った後に、登り返した先の尾根あたりと思われるが、立木の間から、雄々しき富士がドーンと見える(16時50分)。
これは写真取らねば。→ホワイトアウト。ああ〜 富士山だけホワイトアウト

もいっちょ、ど〜ん・・・のはずが、遠景ホワイトアウト
ちゃんと学習してきてくれよ。 富士山だけホワイトアウト2

しかたない。ケータイのカメラで撮ろう。
ケータイ、ガラケーです。 富士山

やはりこれがないと!

これは、黒槐手前の開けた尾根部分と思われる(16時56分)。
立木のまばらな感じといい、明るい笹原といい、私好みの風景だ。 いい感じの尾根

黒槐山直下。17時08分通過。 黒槐山直下

このまま道は左にそれていき、南斜面のトラバースとなる。
これがわからなかった。
この手前に、「黒槐ノ頭」というのがあり、黒槐山との間をすり抜けるのだが、標識もなく、どこが「黒槐ノ頭」なんだよ、という感じ。
わからぬまま、このあと、トラバース気味にどんどん下っていく。

そして今回の山行で、最も道迷いをした場所がこれ。
まばらな立木の間の細い笹原道のトラバースを結構な距離下っていくと、突如道が180度折れ曲がる。
つまり正面に西日を受けながら下ってきたのに急に真東に向く。
そしてその登山道はかなり先までまっすぐに伸びているのだ。
道幅はわずか20cmほど。 登山道折れ曲がり地点

これはおかしい!!

西に行かなきゃならんのに、なんで東に向くのよ?
20分以上、頭が混乱しながら行きつ戻りつを繰り返す。
尾根道を逸れたと思い、登山道と反対側へ登り返したりしてルートを探したがわからない。
西日が自分の顔に思いっきり照りつけているのだから、コンパスを使うまでもない。西がこっち。東はそっち。
だいぶ混乱する。しかも時間が押している。
まもなく17時30分だ。
ついに、このまま踏み跡どおりに進もうと決心する。
仮に違うルートに進んだとしても、このまま降り下ればまき道に出るはずだ・・・(相当標高落とすけど)。

笹原をさまよう

こんな感じの笹原斜面(上写真)。

意を決して真東へ進むと60〜70Mでまた、180度折れ曲がって西を向いた。
こういうターンが、2回つづく。
登山地図では省略されているが、地形図を見ると、わずかに屈曲したギザギザが表現されている。
これだ、これに違いない。
だからここはもう黒槐ノ頭をとっくに過ぎた場所で、南斜面を降下中にジグザグターンが2回ある場所だったんだ。

やっと得心がいって進んでいくと、やがて笠取山への分岐が現れる。
笠取の頂上も、この時間では諦めるしかない。 笠取山分岐

さらに進むとすぐに次の分岐があるが直進する。 シラベ尾根分岐

「源流のみち案内図」 製作者には申し訳ないが、これを見てもわかりづらいと思う。 源流のみち案内図

水干到着。17時50分だ。 水干到着

こんな感じで、チョロチョロだ。 源流のひとしずく

多摩川の最源流であることの説明板がある。 水干説明看板−上

水干説明看板−下

水干を過ぎて進むと、夕映えの富士がその雄姿を見せてくれる。 夕映えの富士

さらに進むと、小さなピークを巻くカーブの手前に標識がある。 カーブ

笠鳥小屋の文字が。まだかまだか。 標識

水干から小屋までも、まだまだ遠い。 笠取小屋へ

雁峠分岐の手前にある「小さな分水嶺」。
小さな分水嶺

これがいわゆる、荒川、多摩川富士川の三川分水嶺だ。 ここに落ちた雨のひとしずくが、それぞれへと流れ下って行く。

「小さな分水嶺」説明看板。笠取山西斜面(急登)が見える。 笠取山

やっとたどり着いた笠取小屋。18時15分となっていた。
雲取りから約10時間。日没まぎわだし。 笠取小屋到着

小屋に着くと、受付をすませ、テント設営場所を指定してもらう。それとトイレと水場を教えてもらい、天泊料金を支払う。
すでに多くのテントが設営を終わっている。
そりゃあそうだ。自分が一番最後だし。
普通どんなに遅くても午後の3時4時には、みんな着いてるでしょうに。
こういうのを「登山にあるまじき行為」、と言うのだよ。

<第二日目 終了> 

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奥秩父主脈縦走5日間 <2019.05.01-05> 第一日目

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<第一日目>
奥多摩駅(06:50)→六ッ石山分岐(10:43)→鷹ノ巣山(12:43)→七ツ石山水場(14:55)→奥多摩小屋跡(16:12)→雲取山避難小屋(17:15)

眠らなければならない。荷造りは大体いつも要領が悪い。
結局布団に入ったのは午前1時半だ。これも、登山にあるまじき行為でないの?

起床4時10分。4時半に自宅を出発。立川駅まで家族に車で送ってもらう。
途中コンビニで、オニギリ・パン・飴・バタピー・チョコを購入(奥多摩駅にコンビニはないので)。
立川発 05:06 → 06:25 奥多摩
トイレを済ませ、オニギリを食べて、出発する。

06:50 奥多摩駅出発 奥多摩駅

ちなみに、奥多摩駅にはゴミ箱はない。

今回は、奥秩父主脈縦走にふさわしく、バスで鴨沢の登山口まで行かずにあくまで駅から出発して、長大な石尾根を登る。
6時前に雲取避難小屋に付けばいいが・・・自信はない。
だが、雲取までは以前も来ているので、時間が押してもそれほど心配はしていない。
とにかく本日のミッションは、石尾根のピークをできるだけ忠実にトレースし、前回できなかった鷹ノ巣山と七ツ石山のピークを踏むことだ。

奥多摩駅の標高は、およそ海抜340M。目的地雲取山の標高が2017Mだから、今日は概ね1670Mを登る。
じわじわ行け。

初日前半部分地図(地理院地形図に加筆)

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駅からすぐ氷川大橋を渡ると、新緑の日原渓谷が出迎えてくれる。 新緑の日原渓谷

渡ってすぐの細道を入っていく。正面が石尾根の先端部だ。
登っていくと住宅の軒先をかすめて一般道に出る。 細道へ

駅から登山道の取り付きまでは、はっきり言ってわかりづらい。

一般道を進むと、写真右上のようなオーバーブリッジが。なんとこれが神社への表参道だ。 神社参道

ブリッジをくぐって右方向へ道路なりに進んでも着くようだが(カーブミラー下に標識)、ここは左へ少し登ってから180°ターンすると、ブリッジに出る。

羽黒三田神社。神社の右を巻いて登る。 羽黒三田神社

神社を通り過ぎそうになったが、思い返して正面に戻り、帽子をとって、二礼二拍手一礼する。

神社から登って、林道に出るところ。 一般道出会

林道を少し登って振り返ると、先程の神社へと下る出会部分が見える。これで標高560M付近。 振り返り

途中にはこの様な標識も。勘弁してほしい。 注意書1

なんとか迷わず登山口に到着。ここからは林道などとの出会はなく、登山道になる。 上にもう一つ社がある。 登山口

勘弁してほしい。 注意書2

途中の社(絹笠神社というらしい) 途中の社

社からすこし登ると分岐が見えてきた。直進すると林道をへて三ノ木戸集落へと下る。集落を経ても行けるようだが、ここは折り返すように右上方向へ登る。
なお、「三ノ木戸」と書いて<サヌキド>と読むようだ。

分岐

(814)付近と思われる。美しい広葉樹体の向こうは、三ツドッケ〜川乗山方面と思われる。 814付近

これまたよく整備された人工林の針葉樹帯。 人工林

尾根はこんな感じだ。ここまでフーフー言いながら歩いてきたが、気持ちのよい風景だ。 尾根の雰囲気

途中途中には標識が。この辺はよく踏まれた登山道だ。 識標

三ノ木戸山の北斜面あたりと思われるトラバース(標高1150M付近か)。右手に見えるのが六ツ石山の肩だろうか・・ 三ノ木戸山北斜面

ミツバツツジがあざやかな色合いを見せる。 ミツバツツジ

尾根が見えてきた。標識もある。日がさしてきたぞ。 三ノ木戸山分岐

標識から少し登って振り返る。左側斜面から登ってきたわけだ。
正面の小さなピークが三ノ木戸山であろう。だが歩いている時は気が付かなかった。 三ノ木戸山

間もなく分岐が見えてくる。 分岐

三ノ木戸集落分岐。9時53分。コースタイムより少し遅いくらいだ。 三ノ木戸集落分岐標識

振り返るともう一人上がってくる。
聞けば、駅から登ってきて雲取りから瑞牆まで縦走の予定という。
おんなじじゃあないか、自分と。
この方(A氏としておこう)とは大弛小屋まで何度も出会った。40歳前後とお見受けしたが、自分よりもペース早く登って行かれた。この後、鷹ノ巣小屋でA氏とまたお会いする。 登山者

六ツ石山へは分岐から300Mほど登る。先程の彼は、もう随分上のほうだ。 六ツ石への登り

(1452)と思われる。・・・キッつ。 1452

地形図に山名の記載はないが、登山地図では「狩倉山(不老山)」となっている

分岐標識が見えてきた。 分岐へ

六ツ石山分岐 六ツ石山分岐

こんな花も。濃い赤紫の釣鐘状の花が可愛らしいが、名前がわからん。
将門馬場手前と思われる登り斜面。 お花

将門馬場付近。このあたりは一旦緩やかな尾根道に。 将門馬場付近

また分岐があるぞ。 分岐

尾根道とまき道の分岐だ。登ることにする。 分岐標識

城山手前の急登。 城山手前

だから、キッツいってぇの。 キッツい斜面

カラ沢ノ頭だと。1490。
地形図にも登山地図にも記載なしだが、そう言うらしい。いや〜キッツい。
それにしてもわざわざ「カラ沢・・」と書いた横に(涸)って書くかなー。それに四方八方、沢だらけだぞ。 1490カラ沢ノ頭

カラ沢ノ頭からほどなく、城山に到着。1523。相当消耗している。 1523城山

さらに尾根はつづく。いつの間にか霧になった。 城山からつづく尾根

斜面で休憩する私。 休憩中

水根山(1620)を通過。 水根山

まだまだ登って行く。 つづく尾根

鷹ノ巣山への登り。 鷹ノ巣山への登り

頂上か。 鷹ノ巣山

着いたぜ。でも一杯いっぱいだぜ。 鷹ノ巣山山頂

山頂標識

鷹ノ巣山から下ると、懐かしい風景が。避難小屋のベンチだ。 避難小屋ベンチ

鷹ノ巣避難小屋。5年前と変わらぬ佇まい。
12時57分到着。 避難小屋到着

ここで先行していたA氏と再会。食事を済ませたようで、ちょうど出発されるところだった。

A氏:「これから雨らしいですよ」
「そうですか」

A氏:「七ツ石小屋でテントを張ろうと思っています」

・・・まだ1時だし、夕方にはなってしまうが、雨でテントを濡らしたくない。体が多少濡れても雲取避難小屋まで行って、小屋の中で泊まりたい・・・

「自分は、今日は雲取避難小屋まで行きたいと思ってます。」

A氏「そうですか。それではお気をつけて。どこかでまたお会いするでしょうね」 「そうですね」

彼は出発していった。

初日後半部分地図

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13時17分、鷹ノ巣小屋出発。15M程度離れて振り返るともう霞んで見える。 避難小屋出発

峰谷分岐。
日蔭名栗山・高丸山は踏まずに、まき道を進んできた。 峰谷分岐

七ッ石山分岐。ここで逡巡する。(14:44) 七ッ石山分岐

尾根道を行くつもりだったが、A氏の言葉通り雨がポツポツ降りだした。天気予報どおりならこれから回復はない。
いまからどんなに頑張っても、雲取まで2時間半以上かかるだろう。七ッ石山山頂にトライするか・・・
それだと18時にもなってしまう。巻くしかないか・・・
七ツ石山頂はあきらめ、まき道を進むことにした。

まき道もこんな感じ。 まき道の木段

崩れかけの部分もあり結構危ない。まあ、なかなか転落する人もいないだろうが、慎重に進まなければならない。

七ツ石の水場が見えてきた。ここは水量豊富でよく出ている。 七ツ石水場

カラにして上がってきたキャリーとペットボトル2本を満水にする。夕食と明日の朝食の分だ。 給水タイム

給水後、小袖への分岐まで来た。雨はすでに本降りになっている。 小袖分岐

ブナダワ到着。土砂降り状態にちかい。
写真を取る気力も失せる。 ブナダワ

閉鎖された奥多摩小屋についた。
ここから山頂まで1時間ほどだが、もう歩きたくなくなってきて、小屋の玄関脇に残された小さいベンチにへたり込む。
靴にも完全に浸水している。

A氏の言うとおり、七ツ石小屋にお世話になるべきだったのだろうな・・・。事前の調べでは、七ツ石小屋は予約で埋まっていたが、この天気なら空きもあっただろうに。
今更ながら、自分の判断が恨めしく思えてくる。
しかし立ち上がって進むしかない。 奥多摩小屋

1939小雲取山
じりじり登るが、リュックの荷重が肩に食い込むようだ。 小雲取山

もう、最後のあたりは、寒さと、全身ずぶ濡れなのと、疲労困憊でどうしようもない感じ。
朦朧としたまま、雲取避難小屋に到着したのは、17時15分頃のことだ。 奥多摩駅から10時間25分だ。18時前には 着いた。

寒暖計は<11℃>ほど。
それほどの寒さではないはずだが、全身がガクガク震えているのがわかる。 雲取避難小屋到着

当然ここは無人の小屋だが、登山者が6〜7名、さすがこの天気でも雲取山だな、という感じ。
寝場所を融通してもらい、下着まで濡れているので直ちに着替えをする。ハンガーがいくつかあったので、濡れた衣服を片っ端からかける。それ以外は板の間に広げておくしかない。
震えが止まらず、温かいものを食べなければならない。
お湯を沸かしアルファ米へ。またカレーと味噌汁を作って食べる。

奥多摩駅から避難小屋まで、約10時間30分を要した。
標高差1700Mちかくを、よく登ってきたものだと思うが、感傷にひたる余裕もない。
19時40分をまわっている。
とにかく寝よう。
靴と靴下がぐちゃぐちゃなのが気になったが、明日のことは明日考えよう。
シュラフを出し、ダウンジャケットをひっかぶってもぐり込む。

暖かくなってきた。眠くなってきた。

<第一日目 終了> 

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奥秩父主脈縦走5日間 <2019.05.01-05> プロローグ

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金峰山と朝日岳

金峰山八ヶ岳連峰(朝日岳より)

東京都最高峰(標高:2017M)の雲取山に登ったのは、2014年秋のことだ。もう5年も前になる。
奥多摩湖側から雲取山山頂近くの避難小屋に1泊して、翌日に破線ルートである酉谷山経由で武州日野駅側へ降りる2日間の行程を予定したのだが、大雨となり、三峰へ下ったものだ。

東京都雲取山周辺。酉谷山もいずれは訪れたい。 酉谷山位置関係

2014年、雲取山行はこちらのサイトを参照ください。 yumetodo.hateblo.jp

それ以来雲取周辺の地図を見るたびに、自然と目は西へ、笠取山から甲武信ヶ岳へと続く稜線へ、さらに奥秩父山系最高峰の国師ヶ岳北奥千丈岳金峰山へと向いていく。
ブログなどを見ると、件数は少ないが、奥多摩から金峰・瑞牆方面へ縦走する記事が散見され、いつしか自分も、奥秩父主脈と呼ばれるこれら山域を結んで歩ききってみたいと言う思いからどうしても離れられなくなっていった。
今年の春まで、九州へ単身赴任していたが(九州登山記は別稿)、東京へ戻ったのを期に、10連休の後半に実行に移すこととした。
主脈全縦走となると、どうしても山中5日間歩き通しとなる。これは自分にとってこれまでの山行の集大成となるものだ。
本稿はその記録である。

行程表/食料計画

今回は、全4泊5日の行程となる。
これまでも縦走で3日間というのは何度かあるが、まる5日間は自分も初めてで、持参する食料もその分多くなるし、はたしてリュックに入りきるだろうか・・・
ルートとしては、

JR奥多摩駅雲取山笠取山甲武信ヶ岳国師ヶ岳金峰山瑞牆山

というもので、国土地理院の地形図で図上計測しても、水平距離でざっと75Kmを歩くわけだ。
「駅探」で、JR中央線の東京↔奥多摩間の営業キロ数を検索すると、74.7Kmだから、ほぼ同じ距離だ。ひえ〜
覚悟してかからないと・・・。

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食料

山行中の食事は他の皆様と同じで、大体がお湯を注ぐだけで食べられるアルファ化米などの食品と缶詰だ。
ほかにアマノフーズフリーズドライ味噌汁なども持ってく。
アルファ化米のたぐいは、そこら辺のスーパーやホームセンターでなかなか売っていない。
しかたがないから、モンベルに行って買ってくる。
カップ麺は今回は持っていかなかった(バックパックに入り切らないため)。

食料その1

自分としてはクノールの「完熟トマトのスープパスタ」が大のお気に入りだ。
疲れたときにこれは効く。体が求めているアミノ酸がそのまま吸収される感じがする(個人の感想です)。
でも持っていかなかった。
上に上がると、カップ麺にしろスープデリにしろ、気圧の関係でパンパンに膨れてしまう。
缶詰は味噌でなく水煮の鯖缶で、小さめの缶をもっていく。このほかコンビーフも持参したが食べられなかった。
初日・二日目はコンビニオニギリやパンを活用した(ただし夏場は2日目は厳しいかもしれない)。
行動食は、ウィダーinゼリー類とソイジョイどちらかを、だいたい1日1個(もっと持っていくべきだった)。
バターピーナッツ、チョコレートなどのカロリーの高いもの。
それとアメ(今回も生梅飴)。細胞内のクエン酸回路で用いられ、疲労回復とエネルギー生成の助けとなる。
ドライフルーツもいい。でも今回は持っていけなかった。
カロリーメイト・・・あれはいけない。山で食べると口内の水分を一瞬にして奪い去る。
疲れているとバタピーですら、水なしでは飲み込めないというのに。

食料その2

大弛小屋で別の登山者に聞いたのだが、顆粒タイプのアミノバイタルだと軽くて水と一緒に飲めば効率的と言っていた。なるほど。
また、チューブの羊羹を持参していた方も。この前カルディでも売っていたから、今度試してみよう。

今回はGW期間なので、それほど気温は上がらないと踏んで、900mLのポリエチレン製ウォーターキャリーと、ペットボトル2本(500〜600mL)の合計約2L/日とした。これはほぼ正しい判断だった。
初日はキャリーを空にしてペットボトルでのみ持ち上がり、七ツ石小屋水場ですべて満水にした。
2日目以降は、ルート上の水場、及び小屋で給水する。
夏場の登山では足りないだろうな・・・

<第一日目>

奥多摩駅→六ッ石山→鷹ノ巣山→七ツ石山水場→奥多摩小屋跡→雲取山避難小屋

  • 朝食:持参オニギリ
  • 昼食:行動食
  • 夕食:白米+カレー+味噌汁

<第二日目>

雲取山避難小屋→雲取山山頂往復→狼平→飛龍権現→将監峠→唐松尾山→黒槐ノ頭→水干→笠取小屋

  • 朝食:コンビニオニギリ(初日購入)+鯖缶、コーヒー
  • 昼食:コンビニパン(干しぶどうマーガリンパン6個入、初日購入)+ウィダー
  • 夕食:パスタ(カルボナーラ)+味噌汁

<第三日目>

笠取小屋→雁峠→燕山→古礼山→水晶山→雁坂峠→雁坂嶺→東破風山→西破風山→破風山避難小屋→木賊山→甲武信小屋

  • 朝食:炊き込みご飯+味噌汁
  • 昼食:朝食の残り+行動食
  • 夕食:おでん(小屋提供)

<第四日目>

甲武信小屋→甲武信ヶ岳→富士見→両門ノ頭→東梓→国師のタル→国師ヶ岳北奥千丈岳→大弛小屋

  • 朝食:再おでん(小屋提供)、山菜ご飯+味噌汁
  • 昼食:朝食の残り+行動食+ウィダー
  • 夕食:豪華な小屋食

<第五日目>

大弛小屋→朝日岳金峰山→大日岩→富士見平→瑞牆山

  • 朝食:白米+カレー
  • 昼食:行動食、コーヒー
  • 夕食:山菜そば(韮崎駅

後述のとおり、小屋食を前提とぜずに食料は持参した。
結果として、余った分は持ち帰ったが、小屋での3日目のおでんと4日目の夕食は、本当にありがたかった。

所持品計画

5日分の荷物は、食料・水も含めすべてバックパックに詰めなければならない。
自分のバックパックが何Lなのかも知らずにいたのだが、
甲武信ヶ岳山頂にいた山ガールらに、
「瑞牆まで抜けるのに、随分コンパクトにまとめられたんですね」
「テントや寝袋まで背負ってるんでしょ」
「私達じゃあできないわ。きっとパッキングのテクニックがあるのよ」
などと、しきりに感心された。
そんなテクニックなどあるかいっ。詰め込むだけのことよ。
自宅に戻ってから、バックパックの背を見ると「YMIR40」とある。
なあんだ、40Lだったのか。
「TATONKA」というドイツ製のリュックらしいが、
1万円もしなかったんじゃないかな・・・。

奥多摩駅ホームにて リュック

自分には体格的にも体力的にも、この程度がいいところだ。
これに、上蓋がパンパンになるほど荷物を詰め込んで登る。
これでも17〜18kgになる。
雲取避難小屋にいた女性は、やはり同じルートのようであったが、
見た目50L以上のリュックだった。しかも御一人さまで。
日程は自分より1日多く取っておられたようだが、大したものだな〜と、感心してしまう。

所持品は別表のとおりだ。

https://drive.google.com/file/d/1Em4mC6brbIc_p-DQhFPGpIqpGCtpmv1Z/view

リストにある軍手は、直前に取り出してそのまま家に忘れてしまった。登山にあるまじき話だ。

こうして始まってしまった。最後まで歩き切るしかない。

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