とにかく無事に5日間の縦走を終えることができて、何よりだった。大きな達成感も得られた。
初日の雨と、4日目の落雷と吹雪には参ってしまったが、それでも概ね天候には恵まれた方だと思う。
GWの後半に山行スケジュールを持ってきたのは、積雪量その他の面で(特に甲武信から国師へ抜けるルートでは)なんとなく有利か、という考えがあったからだが、大弛小屋のご主人にふるまい酒を出してもらって、
「そうだった、令和元年初日にこの山行は始まったんだ」
と思いだした。
別にねらった日程というわけではない。
だが、記念に残ることではある。
一方、代償もあった。
韮崎駅につく頃には、右膝が痛くて改札を通るのにも支障をきたした。特に階段を降りられない。
翌日朝起きると、両足が腫れている。
足の指の間の隙間が、ない。象の足のようだ。
その日(5/6)が月曜の祝日でよかった。やはり予備日は必要だった。
翌火曜日からはもちろん出勤だが、朝自分の足を見ると、足首がない。
ふくらはぎからかかとまで、同じ断面になるほど腫れている。
革靴が入らず、緩めの古い靴を出して履いた。
膝の痛みは増すばかりで、10日間は腫れと痛みが引かなかった。
今回の山行の総括が、やはり必要だろう。
1.反省点
①起床・出発時間
出発前日の睡眠時間が2時間半というのは、もってのほかだ。
それにいずれの日も、午前7時より早く出発できなかなった。
「登山にはあるまじき行為」にも程がある。早い人ではAM3時半ぐらいから歩き出す人もいるというのに、これでは遅すぎる。
アルプスでもどこでも、こんなことをしてたら「帰れ」と言われる出発時間だ。大弛小屋でA氏やB氏と話した際、
「自分は準備の要領が悪いのか、起きてからどうしても2時間はかかってしまう」と言うと、
「いやあ、みんなそのくらいかかりますよ。もっと早くおきなきゃだめなんです」と言われた。
おっしゃるとおり。起床後、着替え・片付けをし、食事を作って食べ、テントをたたみ、荷造りをして、トイレ、水くみなどしていれば、2時間ぐらいは皆かかるようだ。
朝5時に出るためには3時には起きなければいけない、ということ。
これ、常識。
②食料計画
昼食(行動食)には一層の工夫があってよい。
昼食はいちいちお湯を沸かして調理している暇がない。しっかりとエネルギー補給する上でも、行動食はもっと充実化すべきだ。A氏が言っていた顆粒のアミノバイタル。
- チューブの羊羹。夏場はチョコレートが溶けるので、代替にもなるだろう。
- 毎回持っていくバタピーだが、疲労のピーク時には噛んでも飲み込めないときがある。干しブドウやドライフルーツを混ぜて持っていくのもいい。
③装備
- 軍手を忘れた。冬山では不可だが、それ以外では必須と思う。
防水性のグローブのインナーに軍手のつもりだったが、3日目まではグローブの方は使わなかった(蒸れるので)。
軍手がなくて素手だったので、手が傷だらけに。軍手だとむれないで済む。それに安い。 - また素手なので、手の甲がどす黒く日焼けしてしまった。
日焼け止めも、必需品だった。高山ではそれだけ紫外線が強い。 - 直前に購入した軽アイゼンは必須だった。
一方この時期の雪は比較的締まっていて、踏み抜きはあったもののワカンまでは必要なかった。 - 雪上でのテント設営はあまり想定していなかったが、3シーズン用でもギリギリいけた。 ただし寒いには違いなく、マットはもう一枚あったほうがよかったろう。
④ピークハントという面では
- 悔やまれるのは、笠取山のピークを踏まずに来たことだ。それもこれも初日の雨にあたってしまい、二日目の朝の出発が大幅に遅れたことだ。 飛龍山も時間的にやり過ごす。
- やはり初日の雨で、七ッ石山も諦めている。その意味では、雨を恨んでも仕方がないかもしれない。
⑤地図
- 持参する地図は、「国土地理院地図(地形図)」と「山と高原地図」だ。 前者は画像切り出ししたものをトリミングして出力したものを持っていく。 後者はいわゆる登山地図で、これも必要部分をカラーコピーする。
- 地形図については、必要情報を細かく書き込んだものを作っていく。 この事前準備には、それなりに時間がかかる。
- まずは、各ピークの標高情報を記入する。名称のある主要なピークだけでなく、ほぼすべてのピーク(タルベも)に記載する。地形図にはもともと標高が記載されているが、標高表記がないピークにも、コンターから読み取って記載する。
- 次にタルベからピーク、ピークからタルベの、アップダウン数値を記載する。これをしておくことで、コースタイムに比べてこの先どの程度の登りがあるのかなどがわかりやすくなる。
- 地形図になく、登山地図に載っている情報もあるので、書き加える。 例えばピーク名や尾根の名称、水場などのほか、標準コースタイム、また展望ポイントや危険箇所などの、登山に特化した情報だ。
- 地形図はコンターを読み取れる縮尺にしておく。登山地図だと地形の読み取りが細かくできないからだ。ただ、登山地図のほうが広域を見るのに便利なので、併せ持つと万全だ。
- 地形図は1日2枚分程度に分け、その日の分を折りたたんでウェストポーチに入れて持ち歩いた。登山中はこれを何度も出して確認する。 当日分以外の地図は、マップケースに入れてリュックに仕舞っておく。
- 今回の山行で、この点だけは万全だったと言える。大弛小屋で地図をだしたら、皆様からお褒めいただいた。
- またGPSを持っていないのも、皆から驚かれた。スマホでもGPS機能があるが、自分はいまだにスマホを持たないので、もっぱら紙地図とコンパスを貫いている。
⑥体力面
- 今回の山行は、自分の体力不足を痛感させられた。途中出会ったA氏やB氏は、自分よりも随分ペース早く登っておられる。
- A氏は甲武信小屋で四日目の朝に、「昨日は甲武信を降りたところの避難小屋で泊まった」と言っていた。この「降りたところの避難小屋・・・」というのが気になって、改めて地図で調べてみると「柳避難小屋」というのがある。
- 柳避難小屋から甲武信小屋までの登山ルートは地形図にはない(登山道に薄い破線があり、「山道荒廃」とある)。それに柳避難小屋から十文字峠まででもコースタイム4時間近くになるのだから、甲武信小屋までだと当然それ以上になる。
- 甲武信小屋の標高が約2350M、柳小屋の標高は約1200Mだ。しかも悪路らしい。早起きしたと言っておられたが、柳小屋から甲武信経由で大弛まで、自分より早く着くのだから、本当に尊敬する。
- 自分にはそんな芸当はできないし、ヒザ痛と体力に相談しながら、これからの登山にも臨む必要があるだろう。
奥秩父主脈縦走をふりかえる
- 東京に戻ってから、10日も足が痛くてまともに歩けなかったが、夜眠る前に思い出すのはあの尾根々々のことばかりだ。
- 初日の涸沢ノ頭の登り、二日目の長く危険箇所も多いまき道、三日目の燕山・雁坂嶺・破風山へのキツイキツイ登りや四日目の国試ノタルからの登りでは、何のためにこんなしんどいことをしてるんだ、という気にもなる。
- 笠取山や瑞牆山には登れなかった。だが甲武信・国師・金峰のピークは踏んだ。それになんと言っても、奥多摩駅から瑞牆山荘までの約75kmを踏破したのだ。奥秩父主脈縦走の達成感はひとしおだった。
最近では冬の北アルプスにも一般の登山者が入る時代だ。ベテラン登山者からすれば、この縦走も大したことはないかもしれない。
だが自分にとってのささやかな偉業を、今回は達成したと思っている。
歩んできたあの山なみの光を、忘れることはないだろう。